人間、誰しも歳をとります。
抗ってもしょうがないですし、自然とシワシワになるに任せておくしかありません。懸命に生きて懸命に死ぬ…それが命数というものです。
年齢と見た目が合わない
私には最近、自分自身のあり方で気になっていることがあります。何といいますか、見た目できちんと歳をとれていないのです。いや、決して「若い」わけではありませんよ。子供の頃に想像していた落ち着きのある「大人」の姿とは、随分離れた見た目の自分が何だか…不安なのです。
子供の頃の私は近所でも評判の「老け顔」でして、中学生時代にはしばしば、家に訪問してきた保険の外交さんなどから「世帯主」と間違われたりしてました。なんと失礼な話か!( ー`дー´)
それが、大学、社会人と経て、初老と呼ばれる年代に入り、何故か「若いですね!」と言われるようになったのです。何がそう思わせるのかは定かではありません。理由が解ればアンチエイジングの本でも書いて儲けたいところですが。
歳をとって細くなった腕に「デカ厚」は似合うだろうか??
さて、若い頃は40ミリ以上の大きくて分厚い時計がカッコいいと思っていました。「デカ厚ブーム」の走りともいえる時代が、私の腕時計趣味に勢いが付いた時期と重なっていたこともあって、大きな時計に抵抗感がなかったというのはあります。今思えば、周囲を威圧する役目を腕時計に負わしていた側面があるかもしれません。今でも「自慢したい」気持ちはありますが、若かりし頃のそれは、腕時計の力を借りて他人に自分を認めさせる行為だったと思います。うーん、くだらん。
現在の「自慢」は自分の「腕時計好き」を披露するためだけのシンプルな行為になりました。美しく優れたツールと一緒に生活することの楽しみを発信しつつ歳をとる。似たような価値観をお持ちのお仲間が見つかれば最高ですね。
「腕時計と一緒に歳をとるということ」を真剣に考えると「手持ちの腕時計たちと今後いかに付き合っていくか?」という、より具体的な問題に置き換わります。例えば、このまま歳をとれば、これまで集めた「大きな時計たち」はどうなるのでしょうか?シワシワの手首に、ベルロスは似合うでしょうか?分厚いダイバーズは細くなった腕に似合うでしょうか?
「終活」に相応しい小さな時計を探す
ここ最近の私は「40ミリ以下」の時計を探す傾向があります。欧州で「小さな時計」への支持が集まりつつあることも背中を押す一因ですが、取りも直さず、それは自分が「老い」に対する準備段階に入ったことを意味します。高級時計なら尚更、何十年も使いたいわけですが、その頃の私は立派な「おじいちゃん」。淋しいことですが、いつまでも若いわけじゃありません。腕時計趣味の「終活」が始まったといったところでしょうか?
で、現在物色中なのは「DATEJUST」。すでに一本所有していますが、状態の良いアンティークでも見つかれば、手に入れたいと思っています。36ミリというサイズ感が、今の自分にはピタリとハマります。「DJ」はアンティークに良品が多いのも魅力ですね。
そして同じくらい狙っているのがコレ。
「パイロット・ウォッチ・オートマティック 36」です。「マーク17」で最大寸に至った「マークシリーズ」ですが、ここに来てエライ小さいのを出してきました。これなら爺さんになっても愛用できそうです。対磁などの性能も文句なしですね。
終の「一歩手前」の腕時計を探せ
考えてみれば、私の性格と趣味からいって、「IWCの時計」は大好きなはずなんです。創業者がアメリカ人ということの影響からか、スイスのブランドでありながら無駄な装飾を廃した時計を作り続ける姿勢。高級腕時計のトップブランドとは思えない「地味な印象」が「IWC」のブランドイメージでしょう。しかし、中身の凄さは知る人ぞ知る。エボーシュをベースにしたムーブメントを搭載していても、偏屈なまでの厳しさで徹底的に細部を見直して、「IWCに搭載するに相応しいもの」として使用しているとのことです。パッと見で凄さが伝わりにくい時計の最たるものじゃないでしょうか。地味な三つ編みメガネっ子が、メガネを外すと美少女だった…みたいな例えは変ですかね?
どちらも手頃な価格で手に入るため、「終の時計」の一歩手前くらいには丁度良いんじゃないかと思案中です。
以前、ロレアートを狙っていた時の話に関連して、「終の時計」について「考えることが恐ろしい」と書きました。今回、思い巡らせた「終の一歩手前の時計」たちなら、「腕時計趣味の終点」を考えて憂鬱になることもないでしょう。
まだしばらくは、「夢の続き」を見させて下さい。
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