『ALL WATCH CLUB』に参加しませんか??

「なんちゃってリシャール・ミル」を例に「腕時計の高級感」とやらについて考えてみた

  • URLをコピーしました!

 「わぁ~ これはメチャメチャ高そうだなぁ」… ふらりと入ったお店で腕時計を見たとき、そんな風に感じて腰が引けたことがありませんか?? それが庶民の素直な反応ってヤツだと思うのですが… 皆さんは如何でしょうか?? 私だけだったりして (;´Д`A

 ただ、その瞬間に思うことがあるのです。自分がたった今受けた威圧…「高級感」の正体って、一体全体何なのだろうと。

 ってなわけで今回は「腕時計の高級感」とその正体について考えて参ります。多くの方がこれといった根拠もなく「何だか高そう!!」と感じてしまう原理について、できる限りロジカルに分析させていただきます (*´∀`*)

Table of Contents

「高級感」を感じさせる『3つの要素』

 腕時計に限らず私たちが「高級感」を感じるきっかけは、大きく分けて「3つ」あると思います。

 まず1つ目は「素材」。例えば、誰の中にも「高級素材」として認識がある「ゴールド」「ダイヤモンド」。そして滅多にお目にかかれない「希少な材質」… そう言ったものが使われているプロダクトは、見る者に「ストレートな高級感」を与えることでしょう。

 2つ目は「価格」。初見で大して高価だと思わなかったものでも、値札を見て「数百万円」と知ってしまった一瞬で「これは高級品!!」と認識が改まるはずです。

 3つ目は「高級品との類似」。すでに高級品であると評価が定まっているプロダクトに「似せる」ことであたかも同様の、或いは近い価値を持つ物としての認識を植え付ける手段です。古今東西、ありとあらゆるジャンルでこの手法が用いられています。ただの「錯覚」である場合がほとんどですけどね (;´Д`)

使用される「素材」での見極めも絶対ではない

 以上の3つの中で言えば本来「材質の高級感」は揺るぎないものです。ブランドの格式、デザイン性などでかさ増しはあるものの、基本的には同じグラム数のゴールドが使われていれば、時計だろうと狸の置物だろうと「金としての価値」は変わりません。

 ただ、PVD加工などでキレイにコーティングされた金色の被膜にも、私たちは高級感を感じてしまいます。正直に「無垢じゃなくてコーティングです」と打ち明けられたとしても、反射的に感じてしまった高級感はそう簡単に拭えないものです。

 ですので見た目の素材(感)による高級の判定も、それほど厳密に物の価値を捉えているわけではないと考えます。もちろん顧客を騙そうとしているわけではないでしょうし、PVD加工のように高級素材を模倣・再現すること自体は悪いことではありません。キチンとした開示さえあれば、あとは消費者自身がお値段と本質的な価値を天秤にかけて判断すれば良いだけのことです (*´ω`*)

「値札」が持つ心理的なインプリンティング

 例えば「この時計は作りがイマイチ」なんて思ったところで初めて「値札」を見て、コロッと意見が変わったなんてことはありませんか?? 脳内で起こる一種の「手のひら返し」です。

 消費者の頭の中には大勢の他人が下した評価の現れが「価格」であるという潜在的な認識があって、個人である消費者がそれに対して「理論的」に抗うことは困難です。多くの場合は「極めて個人的な好き嫌い」を基軸にして異論を述べる形になるでしょう。もちろん、それで万人を納得させることはできません。「腕時計の価格上がり過ぎ!!」と誰かが言ったところで、それが不買に繋がったり、価格の引き下げに繋がったりしないのがその証拠。個人の意見の限界は、説得材料としての「エビデンス不足」に起因していると言えるかも知れません。

 ですからほとんどの消費者は「値札」に抗えません。値札の記されたゼロの個数を見て、個々人の基準に照らし合わせる形で、その「高級感」とやらに屈してしまうのです。価格帯の影響力…「刷り込みの力」は絶大。商品を見た最初の印象こそが正しい可能性があるにも関わらず、価格帯の「刻印付け」に支配され思考力を失った先にあるのは、ただ漠然とした「高級価格帯」というゾーンの認識でしかありません。

 このように値札と物体としての価値の関係が曖昧な「腕時計」ですから、メーカーやリテイラー… 要するに消費者からすれば「プロフェッショナル」にあたる存在が決めた価格に一定の重みがあるのは事実です。ただ、自己評価が高過ぎるブランドの付けた定価を鵜呑みにして、腕時計の「高級」を判断するのは危険過ぎます。

 例えるならそれらは「雰囲気美人」のようなものなのです。高額な定価に惑わされ「高級品」として手に取ることになったとしても、発表直後の高揚が過ぎればあら不思議。冷静になった市場が如何に残酷であるかについては、今更説明の必要もないでしょう (;´∀`)

ブランドにとって高級イメージは「諸刃の剣」

 高級感を決定する「3要素」からは敢えて外しましたが、触れずにスルーするのも不自然かもしれません。ちなみに「ブランド」を外した理由は明確。どんなブランドにもそれぞれの事情から生じる「マイナス因子」があるからです。

 例えば、広範囲に超一流の評価を受けているブランドがあるとします。そんなブランドの新作が著しく期待を裏切る出来だとしたらどうでしょうか?? 消費者の失望は普通のブランドの比ではないかもしれません。

 「超一流のブランドであれば、超一流の責任を果たさなければならない」… 消費者の多くが超一流の商品とともに超一流のサービス、そして超一流の将来展望を享受できる対象として「超一流ブランド」を見ているのだとしたら、ほんの小さな躓きであっても、回復困難なダメージになり得る可能性があります。私が知る範囲でも、消費者の期待に沿えなかったばかりに、かつての栄華が見る影もなく廃れたブランドが幾らでもありますからね (;´Д`)

 ブランドイメージと言うものが価格によって保たれる側面を有している限り、超一流ブランドのプロダクトには高額なプライスタグが付いてきます。当然そこには絶対的な説得力が必要ですし、不断の説明義務も生じます。そう言った努力を怠ったとき、好意的な消費者は容易にその立場を翻すのです。「高級ブランド」だからこそ「高価である理由」を明確にする義務があり、そこには常に厳しい目が注がれています。

「リシャール・ミル」が到達した別次元の高級感

 腕時計の「高級イメージ」の多くは、伝統的な様式の枠内で構築されたものだと思います。外装や内部のムーブメント。即ち、腕時計を構成する全ての要素に何らかの様式や伝統があって、難易度の高い仕上げや加工を具現化することで「伝統的価値がある」と認められて高額であることを許されます。完全な手作業だった時代の様式を現代の加工機械で模倣すること自体に、果たしてどのくらいの意味があるかは疑問ですが、それら「伝統」を解釈し直して現代に相応しいものに「進化」させるならば、それなりの価値が生まれるのでしょう。

 ムーブメントだって同じです。例えば現代の加工技術ならば、大幅にメンテナンス性を高めた「シンプルな設計」も可能なはずです。ところが、そっち方向への進化は「伝統を重んじる腕時計愛好家」の歓迎するところではないのでしょう。相も変わらず複雑で部品点数の多いムーブメントが評価される所以です。

 ただ、この辺りの事情が腕時計の価値を「ある程度」守護している側面はあるでしょう。最近の機械を使ったとしても、新興のマイクロブランドがモリッツ・グロスマン級の仕上げを熟せるわけではありません。そこには蜿蜒と続く研鑽が欠かせないからです。ですから「この時計の仕上げがスゴい!!」に関してだけは「高級であること」の裏付けになっていると思います。

 問題は、目に見える伝統的な仕上げの素晴らしさや素材の上品さとは別次元の「高級感」が存在することです。最も解りやすい例として「リシャール・ミル」を取り上げます。すみません。何だか申し訳ないです (;´Д`)

出典:https://www.richardmille.com/

 もちろん、リシャール・ミルの実物はとんでもないはずです。ある意味「機械式腕時計の未来」を一身に背負っているのが「リシャール・ミル」なのだと思っています。実物にお目にかかったことがないので想像するしかありませんが… さすがに解ります。

出典:https://www.richardmille.com/

 伝統の打破を旗印に生まれたリシャール・ミルが高度な「手仕事のカタマリ」であることは皮肉かも知れませんが、それが評価されたからこそ「豪邸並み」の価格であっても売れているのです。ただ、それこそ伝統と照らし合わせて考えてみれば、あのデザインの「格好良さ」については評価の分かれるところだと思います。「超高級のリシャールだから憧れる」のであって、常識の範囲内で「腕時計好き」を名乗っている私のような人間からすれば、虚心になればなるほど「不変のデザイン性で買う時計ではない」のがリシャール・ミルなのです。反面、ムーブメントの設計には敬服しかありません。あんなに現代的でイカす機械式ムーブメントは他にないと思います (*´∀`*)

出典:https://www.richardmille.com/

 現在、多くの時計好きがリシャール・ミルのデザインに対して得も言われぬ高級感を感じるのは、リシャール・ミルが構築した「超高級腕時計の方程式」を多くの腕時計愛好家が解けるようになったからです。トータルパッケージとしての圧倒的な存在感をリシャール・ミルが指定した通りに解釈できているからこそ、万人が認める「成功者の証」たり得るのです。

 ただ、リシャール・ミルの場合、その「外面」だけを真似ることは難しくありません。実際、有象無象、様々な「なんちゃってリシャール」が跋扈しています (;´∀`)

類似品「リシャールもどき」が売りにする「高級感の拝借」

 前述の通り、リシャール・ミルのデザイン自体には特段の格好良さを感じない私です。例えば事前に超高級ブランドであることを知らされずに公式サイトでラインナップを見たとしたら、恐らくは「何じゃこりゃ!?」ではないでしょうか。見た目から高級感を感じることなんて… できますかね??

 ですが私自身はその「何じゃこりゃ!?」を超高級路線の境地に定着させたことこそが、リシャール・ミルの最大の功績だと考えています。2001年設立と若いブランドであるリシャール・ミルが「リシャール・ミルなら超高額でも仕方がない」と消費者の納得を引き出したのですから凄まじい。間違いなく、あらゆるラグジュアリーの中でも特筆すべき成功例でしょう (*´∀`*)

 贅を尽くしたとは見えづらいプロダクトを主力に据えながら、抜群のセルフプロデュース力と圧倒的な希少性で超高級腕時計の頂点に君臨するリシャール・ミル。未来志向の腕時計は数あれど、そのどれもがリシャール・ミルの存在感に遠く及ばない事実を省みれば、安易な「リシャール・ミル」の模倣が意味するところも理解できるはずです。

出典:https://www.richardmille.com/

 そうなんです!! リシャール・ミルを模倣するということは、現代的でキャッチーなデザインを借りるだけではなく、唯一無二の「リシャール・ミル」を連想させることによる「高級感の拝借」でもあるのです。「デイトナの模倣デザイン」だって幾らでもあるじゃないか… それは確かにそうなのですが、連綿と続いてきたクロノグラフの歴史を背負うデイトナと異なり、リシャール・ミルの存在は歴史の「特異点」のようなものです。模倣しつつ僅かに外してお茶を濁すといったありきたりな手法で脱出できるほど、リシャール・ミルの異質感は脆弱ではないのです。

出典:https://www.richardmille.com/

 逆に申せば、大柄のトノーケースに鎧を被せたようなデザインにすれば、今はもう全てが「リシャールもどき」になってしまうのです。ですから、そう言った「もどき」を発表したブランドから「高級感」といったワードが出てくると、どうしようもない違和感に襲われます。リシャール風デザインの格好良さは、その原初にリシャール・ミルがあるからこそ成り立っているのであって、それは「トータルパッケージ」としての価値観であるべきなのです。外面だけリシャール風を気取った時計があったとして、それに対して「格好良さ」「高級感」を感じたとしても、それは恐らく、その「なんちゃってリシャール」のものではありません (;´∀`)

リシャール・ミル風デザインが「スタンダード」になる日

妙に欲しくなる「TSAR BOMBA」のリシャール風ウォッチ 出典:https://tsarbombawatch.com/

 「なんちゃってリシャール」の横行に鼻白む気持ちがないと言えば嘘になりますが、それらに対して「絶対に存在してはならない」と考えているわけではありません。この場合、それら「なんちゃってリシャール」たちは、ある種「文化の斥候」のような役割を担っているフシがあるからです。

めっちゃドヤ顔ですが数万円から買えます(笑) 出典:https://tsarbombawatch.com/

 と言うのも、ほとんどの人類はリシャール・ミルを買えません。つまりは折角のリシャール・ミルもその素晴らしさが「広範囲に伝播しない」のです。これは勿体ない話ですよね??

 完全に個人的な解釈ではありますが、始祖とも言える「リシャール・ミル」の存在感を最も際立たせているのは、実のところ「なんちゃってリシャール」たちなのではないでしょうか?? それらを通して本物の凄まじさを知り、潜在的な、或いは将来的なオーナー候補を育てているのだとしたら、それはそれで意味があるような気もします。要するに、一般的な腕時計好きの頭の中にイメージの橋頭堡を築き、リシャール・ミルの(風も含めた)存在を一端の「スタンダード」に変えられる可能性が、数万円~数十万円で購入可能な「なんちゃってリシャール」にはあるのです。

一本くらい持っていても良い気がしてきました(笑) 出典:https://tsarbombawatch.com/

 そもそも文化は繋いでこそ語り継がれるものです。眷属たちが「語り部」の役割を以てリシャール・ミルの素晴らしさを伝えてくれるのならば、普段から私たち庶民の視界に入る機会も増えるでしょうし、想いを馳せるきっかけになるかもしれません。例え現実には届かない存在だとしても (;´∀`)

最後に… 安易に真似られるも決して届かぬ「孤高の頂点」

 ぷはぁ~ めちゃめちゃ駆け足で書いてしまいました。冷静に読み返した方が良いかも??

 まあそれは置いておいて(笑) 例えば弊ブログで「リシャール・ミル」なんて恐れ多いワードを連投することなんて普通はないわけです。ところがこのようなきっかけさえあれば、私みたいな庶民派であっても語ることが可能になる。これは「なんちゃってリシャール」のお陰です。皮肉じゃないですよ??

 そもそも特徴的な鎧が如き外装デザインにしたって、リシャール・ミルの専売特許というわけではありません。トノーという枠組みを外して思い返せば、例えば「ヨルグ・イゼック」氏のデザインの中には鎧的なものが少なくありません。思えば「キラダ」なんてかなりリシャール的です。時期的にはリシャール・ミルの誕生より、少し先んじていたような気がします。

出典:https://www.chrono24.jp/

 恐らくは環境的に多くの影響を受けつつ生まれたのが「リシャール・ミル」なのでしょう。ファーストモデル「RM001」の誕生はそうした紆余曲折の賜物だったと推察できますが、そこに「時代を変革したい」というリシャール・ミル氏の強い信念があったからこそ、例え模倣品が乱立しようとも埋もれることのない「孤高の存在感」を放っているのです。無理ですって。外見だけ真似たとしても、そう簡単に超えられる時計ではありません。

 そうですねぇ… 私も「なんちゃって」しか見たことがないですし、叶うならば一度くらいは拝んでみたいですけどねぇ。実物の「リシャール・ミル」ってやつを (*´ω`*)

追記です

 なんちゃって代表として「TSAR BOMBA」というブランドをチラ見せさせていただきました。ロシア語で「爆弾の帝王」を意味する何とも物騒なブランド名ですが、実際にそう呼ばれた大型水爆があったそうです。

 興味が沸いちゃった方はリシャール・ミルを相当に意識したであろう公式ページをご覧下さい(笑)

 この辺りにモヤッとしないではありません。ただ、製品自体は面白そうなんですよねぇ。

 それにしても、リシャール・ミルを真似た時計って必ず「お笑い枠」に見えちゃいませんか?? 頑張って真似ようとすればするほど妙な可愛げが滲み出る。だからでしょうかね?? 何とな~く許せちゃうのは(笑)

ブログランキングに参加中です

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Please share this article.
  • URLをコピーしました!

ご意見・ご感想

コメント一覧 (2件)

  • オマージュウォッチいいですよね〜
    WMTが気になっている自分としてはタイムリーな話題でした。

    賛否両論あるのでいまいち購入に踏み切れないんですよね。
    元ネタがリシャールくらい振り切ってたらいいんですがww

    • Y太さま。コメントありがとうございます♪

      可愛げのあるオマージュは許されるべきだと思っています。
      「似せちゃった、テヘ!!」ならしょうがないかなぁ~と。
      反対に「似せたわけじゃない!! 自然とこうなった」みたいな苦しい言い分け系プロダクトも
      それはそれで味が合って嫌いじゃありません(笑)

      リシャールオマージュはどれもこれも一種のギャグだと思っています。
      「なんでやねん!?」とツッコミを食らうまでが一つの芸です(笑)

コメントする

Table of Contents