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腕時計の本質は「ジャズマスター」が教えてくれた

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高校2年の夏辺りから、急にお洒落に興味が向くようになった私という男。生まれて此の方、オカンが買ってきた服で何の不都合も感じていなかったイノセントな兄ちゃんが、いそいそとファッション誌に目を通すことで、いかに自分が「ダサい存在」かを悟ったのです。

別に好きな女の子ができて急に色気づいた…とかではありませんでした。高2の夏休みから通っていた美大進学の予備校で仲良くなった連中が、揃いも揃ってお洒落さんだったので少なからず影響されたのです。絵の勉強に行ってたはずが、気が付けば洋服のブランドばかりに詳しくなってしまって(;´∀`)

とはいえ、旧家のお坊ちゃまだったマッシュルームカットのサーファー君1人を除き、あとは全員スッカラカンのビンボー学生でした。ですので服を買う際の行きつけはアメ村の古着屋さん。何度も店に通っては、値下がりしたタイミングを見極めて買うのが「オレたちの流儀」でした。

最初はLevi’sの「501」にしか興味がない私でしたが、浪人生活に突入する頃にはすっかり古着全般のトリコに。ユニクロみたいな「ファストファッション」なんてなかった時代の話です。ホント、学生の身でお洒落をしようとすれば、相当な知恵を絞らないとできなかったのです。

「501」から始まり全身を古着で固めていた私は、今思えばかなり小汚い兄ちゃんでした。本人的にはご満悦でしたが、上下ともにボロボロに穴の空いた身なりで、傍目には清潔感とは無縁の存在だったと思います。美大生だからと大目に見てもらってた部分は多々ありますね。君ってアート系?みたいな(;´∀`)

そんな私が最後に手を出したのが「腕時計」でした。高校時代は母親に近所のカメラ屋さんで買ってもらった「カシオ」を愛用していましたが、古着で「格好良くなった(と勘違いしている)」私としては「カシオの安いデジタルなんて嫌だよぅ」と思い始めたワケです。そして…お洒落な腕時計が欲しくなりました。

どこで買ったのかは記憶がハッキリしません。買ったのはシチズン製、3針の「ムーンフェイズ」でした。初めて自分の意志と(アルバイトで)稼いだお金で買ったクオーツでした。2万円くらいだったかな?

私はこれをいたく気に入り、毎日うっとりと文字盤を眺めては「なんてキレイな時計なんだろう」と心のなかで何度も反芻。ムーンフェイズのディスクに描かれたシンプルなお月さまが特に良かった。そして最初の革ベルトがボロボロになった頃、その時分に流行っていた「蛇腹のブレスレット」に交換。これがまた、お洒落でたまらなかったのを覚えています。

結局これが、自分の意志で手に入れたという意味では実質的な「マイ・ファースト・ウォッチ」でした。19、20歳の頃の話です。それからも色んな腕時計を購入。学生時分で記憶にあるのは、マルイで「G-SHOCK」、下北沢の雑貨屋さんで「TIMEX」。中国雑貨の大中(閉店したんでしたっけ?)で「中国製のミリタリーウォッチ」も。あ、そうそう!大学に行くときいつも背負っていたのは、大中で買ったリュックでした。

この頃から無意識ですが腕時計は好きでした。だけどあくまで「ファッションの一部」或いは「雑貨の一種」に過ぎなかったと思います。ブランドなんかどうでも良くて、要は格好いいか可愛ければ何でも良かったのです(相変わらず金欠でしたしね)

社会人になって最初の頃は大学で専攻していた建築関係の仕事(図面やらパースやら)をもらって暮らしていましたが、程なくして「デザイナーかイラストレーターでやっていきたい」と考えるようになりました。比較的安定していた建築関係を捨てて夢に賭けたものの、しばらくは仕事がうまく軌道に乗らず苦戦の日々が続きました。仕事の数だけはありましたが、デジタルコピー機や当時はポルシェ並の価格と言われたMacintoshなどの資材に投資した分を回収できない時期が続き、腕時計を買うゆとりなんて全くなかったのです。それどころか食費も怪しくなって、ほぼ毎食アンパンなんてときもあったくらい(丹下段平か!)

ところが25歳になるかならないかで事態は変化。その後数年続くシリーズ物のメインライターに抜擢されたことで収入は一挙に改善しました。そのピークは28歳頃でしたがたった3年とはいえ、とても良い目を見させて頂きました。

その代償としては…とにかく自由になる時間がありませんでした。毎週5、6件は新規の仕事の依頼があって、片っ端から受けちゃうもんだからそうなるんですが「断ったら次はない!」みたいな脅迫観念が常につきまとっていたので、体力の限界ギリギリ崖っぷちまで仕事を入れざるを得なかったのです。まとまった休みを取った記憶もありません。

余暇がまったくないワケですから、お金を稼いだとて使いみちがありませんでした。仕事で使う高価な機材を一括で買ったりすればそれなりのストレス解消になりましたが、それよりなにより…原稿を上げてバイク便を送り出した後の開放感のままに繰り出す「銀座」に勝るものなしでした。

とはいえ、高いお酒を飲みに行く…とかじゃありません。そもそもそんなにお酒に強くないので、お水方面の楽しみとは縁がないのです(憧れましたが)。私が銀座に赴いた目的は高級文具を見ること。お高いカフェで一番お高いコーヒーを飲むこと。日本茶専門店のイートインで安倍川を食べること。そして「腕時計を見ること」でした。

「ロイヤルオーク」を買ったのもその頃です。

記憶を辿れば思い出すのは…確か…都内にマンションを買おうとしたんです。だけど思ったよりも高くて、まだまだ頑張らないと買えそうにないことが判明。で、ちょっとヤケッパチな気持ちで散財してやろうと考えた結果が「ロイヤルオーク」だったと思います。マンションを買うことに比べればそりゃあ安い買い物ですが、それでもよく「ポンッ!」っと出せたな~と思います(腕時計は現在ほど高くはなかったですけどね)

ルクルトの「クリオス」を買ったのも多分この頃。タグ・ホイヤーの「モナコ」はもうちょっと後の購入だったか…他にもあったはずなのですが…ヤバいくらいに記憶が不鮮明なのです。スミマセン。今、必死に思い出そうとしています(;´Д`)

とにかくあの頃の私のようなフリーランス商売は、何を買うにも基本「現金払い」しか受け付けてもらえませんでしたから、買いたい物があっても「お金が貯まるまで我慢」しなければなりませんでした。その癖が付きすぎて、サラリーマンになったときに周囲との金銭感覚に違和感を感じたりもしました。「次のボーナスで何買う」みたいな話を貰う前からし始めることには、未だに馴染めない自分がいます。

今の会社に入ってからも色んな腕時計を使いました。すでに「G-SHOCK」はかなりの本数に達していましたし、「プロトレック」にもハマっていました。パネライの「サブマーシブル」は買ってから数えるほどしか出番がなく、売り払ったお金は現在手元にあるラジオミール・ブラックシールなどに化けました。

「ロイヤルオーク」も手放して久しいですが、ほとんど購入した金額と遜色ないお値段で売ることができてラッキーでした。もちろんそのお金は多くの腕時計を買う資金として露と消えたワケですが…ね(;´Д`)

まるで「散財履歴書」です。今も同様に腕時計に対する散在は続いているワケですが、その「心情」は大きく変わったと思います。何て言えばいいのか…ファッションの一部に過ぎなかった腕時計がまるで「親友のような存在」に変わったのです。

実は長年、私は自分のことを「腕時計コレクター」だなんて露ほども思っていませんでした。計画的に集めているワケでもないですし、当然「腕時計を蒐集中」という自覚もありませんでした。自分が購入した腕時計への興味も今ほどはなく、型番をスラスラ言えるようになったのもごく最近のことです。

鉛筆や割り箸を100本持ってたって、蒐集とは言いませんよね?「社会人なら腕時計は身に着けるべき」といった自分の中の常識は不変でしたが、それはあくまでも「生活必需品」としての話でした。

そんな腕時計への接し方を変えた時計があります。意外かもしれませんが、ハミルトンの「ジャズマスター・ビューマチック」がそれでした。

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久しぶりにオリジナルのレザーストラップに戻しました。

この腕時計は初めて「決まった目的」のために購入したものです。それは東京の某通信社研修所で行われた「管理職研修会」に着けて行くというもの。

実は会社での私の昇進はかなり遅い方でした。ポストが空かなかったから…というのが最大要因でしたが、私自身、これっぽっちも出世欲を持ちあわせていなかったため、周囲が心配するレベルでそういうことには無頓着でした(すぐ上の先輩が一番割を食ってたので、気の毒でしたけど…)

ところが同時期に昇進した連中が一堂に会するとなると話は変わります。ぶっちゃけ、私だけが結構な年寄りなのです。下手すりゃ10歳は違うかもしれません。

その時期に私の手元にあった時計は、何というか…キワモノばかりでした。前述のサブマーシブル然り、数だけは沢山あったG-SHOCK然り。どれも、研修に着けていくようなシロモノではありません。

年寄りがキワい時計を身に着けて、悪目立ちするってのも…アレです。ここは「常識人」を装わなければ。

で、「大人っぽさの中に初々しさもあって、モダンに見えつつもクラシカルな腕時計」をググって探した結果、偶然見つけたのが「ジャズマスター・ビューマチック」だったのです。

「ジャズマスター・ビューマチック」の購入は大正解でした。同じ局の連中と研修の間中、共同で作業をするパーティーを組まされたのですが、その席次は「社長のドまん前」だったからです。

めちゃくちゃ近い位置で社長に品定めされる私。発言も思考も…はては身だしなみも、じーっとつぶさに見られてるような気がしました。

ハッキリした記憶ではありませんが、社長の腕時計は見るからにアンティークでした。高そうなレザーストラップが引き立てる年季の入ったケース。ドーム型の風防に湾曲したシルバーのダイアル。品性と知性が感じられるそれは「ザ・社長」って感じでした。ちなみにブランドは見ていません。そんなに社長をマジマジと見てたら怒られちゃいますからね(;´∀`)

同じパーティーの面々はというと…タグ・ホイヤーの「カレラ」、ロレックスの「オイパペorデイトジャスト」、後はシチズンの「アテッサ」だったかな。その中で私が3日間の研修用に選んだ「ジャズマスター・ビューマチック」は我ながら「絶妙!」に思えたのです。

たかが腕時計と言ってしまえばそれまでですが、腕時計は「着用者の良識を映し出す鏡」のようなものです。会社のお歴々を眼前にして感じたそれは、「オイパペはアウト」「カレラはギリでセーフ」「アテッサはセーフ」「ジャズマスターもセーフ」でした。オリジナルの茶色の革ストラップだった「ジャズマスター・ビューマチック」。ハミルトンというブランドの軽快さとシンプルなデザインが、「真面目に研修受けてます!」「身の程もわきまえてます!」という私からのアピールになったと思うのです。多分。

そのことで社長にお褒めいただいたとか、そういう話ではありません。ただ、腕時計の「そういう面」について、私ははじめて「奥深さ」「面白さ」を感じたのです。腕時計一つで人間の印象が変わる可能性については未知数も良いところですし、マユツバで聞いてもらって構いませんが、何も考えずに「G-SHOCK」「ロイヤルオーク」を着けていったとしたら…私は少なからず「やべぇ…」と感じて身悶えていたことでしょう。

ビジネスマンがきちんとスーツを纏いネクタイを締めるのは、それがルールだからではなく、言葉にできない誠実さを伝える役割があるからではないでしょうか?ノンバーバルコミュニケーションの一つとして腕時計にも同様の役割がある。その事実に気が付いた瞬間、私の中の腕時計世界への扉がバーンっと大きく開いた感じがしたのです。

それは腕時計という実用品が、単なるファッションとして個性を彩るだけのアクセサリーではなく、厳格なドレスコードをベースにして日々の生活に規律をもたらす「必然」であることに気付いた瞬間でした。

きっと、お洒落が目的のためだけなら、私はここまで腕時計にハマっていません。また、時刻を正確に刻む性能に期待するだけであっても、それは同様です。

ノーネクタイでも許されるシーンが増え、公私の境目がぼやけてきた昨今、男の腕時計には着用者の社会的な輪郭を明確にし、実在根拠を示す役割すらあるような気がします。何だか難しく書いてしまいましたが、要はネクタイをすればシュッとして見えるのと同じで、私は腕時計を現代人の「戒め」のようにも感じているのです。

戒めだから時には苦しいこともあります。腕時計を忘れた日の強迫観念とも言える深い後悔(丸一日しょんぼり)に関しては、自分でも「バカじゃないのか?」と思うくらいです。この先の蒐集に関しても、どうすれば納得できるフィナーレを迎えられるか不安で仕方がありません。ここまで来て下手な着地をすれば、何より自分自身が許せそうにないのです。そうですなぁ…こうして考えると、シンプルに楽しいだけじゃないんですよね。ほとんど修行です…私の腕時計蒐集(;´∀`)

しかし、腕時計を忘れた日に感じる「空虚」は、ただ単に袖口が寂しいなどの感情ではないはずです。それはすでに身体の一部となった腕時計に対する、深い愛情の証なのではないか。これは着用者と同じ時間を共有しつつ伴走するという「腕時計のモノとしての性格」がそうさせるのでしょう。

「ジャズマスター・ビューマチック」自体は高級時計ではありません。故に着用してもステイタスはほとんど向上しません。ですが私は、この辺りのクラスに属する腕時計の「軽快な使い心地」「気のおけない存在感」が何よりも好きなのです。

印象を悪くするファッションなんて進んで身に着ける人は誰もいないと思いますが、腕時計の「誤用」はまさにそういう危険性をはらんでいます。過剰なステイタスを振りかざすこともなく、それでいて多くの人に「センスが良い」と評価される稀有な存在、「ハミルトン」というブランド。そして、大人として社会人として、一本筋を通すべき大事な局面において、腕時計が果たす役割について教えてくれた絶妙な腕時計「ジャズマスター・ビューマチック」。

腕時計との出会いは偶然と必然の赤い糸が結ばれた瞬間に訪れます。必要なシーン、使いたいシチュエーションが明確にあるならば、私たち腕時計好きの眼前には「必然の腕時計」が現れるはず。それは「高級腕時計購入」という小さくない「罪悪感」を忘れさせ「赦し」にも似たカタルシスを感じさせてくれるのです。

そう!「ここで、こんな風に使う!」という目的意識と、それを受け止める腕時計の邂逅があれば、腕時計の購入は正当化されるのです。そのためにワタクシ頑張って働きます。だから許して、腕時計だけは大目に見て!!(誰に言っているのか…)

私もまもなく仕事納めです。また来年も、例え安くてもいいから「たまには」腕時計の一本も手に入れて、日々の労働の糧にできればいいなぁ~と思います。

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