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縁遠い腕時計

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野球やサッカーで複数のポジションをまんべんなく守れる選手のことを「ユーティリティープレイヤー」なんて呼びますが…私もです( ー`дー´)

何の話や!って思われるでしょうが、それはもちろん腕時計の話。要するに「好きな腕時計の守備範囲が広いですよ!」って意味です。それも節操がないレベルで。ちっとも自慢できることじゃないんですが…(;´∀`)

無理やり自慢げに語るならば…どんな腕時計に対しても「理解する努力を惜しまない男」であるとしておきましょう。

例えばメーカーやブランド、作られたお国柄もそうですし、ドレス、ダイバー、パイロット…3針だろうがクロノグラフだろうが、何でもかんでも理解して消化できる根拠のない自信があるのです。まぁ、単純に「気が多いだけ」とも言えますな…(;´Д`)

そんな私にも「縁遠い腕時計」があります。高価過ぎて絶対に買えない時計や、デザインの方向性が異次元過ぎて理解不能な時計などがそれ。とりあえず、デザインが過激過ぎて使いみちの想像すら付かない「ぶっとび系時計」の代表格として、日本にも多くのファンを抱えるロシアの独立時計師「コンスタンチン・チャイキン氏」「ジョーカー・ウォッチ」を(失礼は承知で)上げさせてもらいます。

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出典:https://konstantin-chaykin.jp/

「怖ぇぇ~!(笑)」

 暗がりでいきなりコレを見せられたら、悲鳴を上げながら走って逃げますわ( ;∀;)

冷静に見れば、凄いレベルの仕事をしてるのが解ります。ちなみに目玉のコレ、レギュレーターなんですよね(意外と見やすい)ダイアルのギョーシェの凝り方なんかも「ザ・独立時計師」って感じです。お値段は388万円。

とはいえ何かこう…この時計はいわゆる「腕時計好きの感覚」で評価してはいけない時計ではないかと思うんです。そういう感覚からは遠いところにある存在とでも言いましょうか…うわッ!歯が生えてる!

氏の名誉のために付け加えると、確かにトンデモ系の腕時計が得意な方ではありますが、おしゃれで素敵な腕時計も作ってます。「クオターム」という名の時計を見た時は、ロシアの腕時計に対するイメージが少なからず変わりましたからね。

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出典:https://konstantin-chaykin.jp/

「縁遠い腕時計」お次は、高価すぎて私のモノサシからはみ出しちゃってる腕時計たちです。

モノにはそれぞれ常識的な「適正価格の範囲」があると思います。その人の経済的な事情によって差はあるでしょうが、マンションなら数千万円、自動車なら数百万円、そして腕時計なら私の場合は100万円が限度です。今後この限界を突破する予定はありません(;´∀`)

他にコレといった趣味も無ければ浪費のアテもない私が「せめて腕時計くらいは」というセルフジャッジで設定した「100万円」という限度設定ですが、それでも「馬鹿げてる!」と仰る方もいますし…「お金の使い方を間違ってる」と怒られたこともあります。そんなとき「世の中にはもっともっと凄い高価な腕時計があって、ワシのコレなんて可愛いもんや!」とでも返そうものなら後々エライ目に合うのは必定です。絶対に止めましょうね。

今のはしょーもない屁理屈ですが、確かに世の中には「超絶高価な腕時計」がたくさんございます。それこそ立派なマンションが買えるお値段の時計なんて、高級腕時計界隈では珍しくもないのです。

例えば、私たちに馴染みの深いブランド…機械式腕時計初心者御用達のように言われる「タグ・ホイヤー」にも、とんでもない腕時計があります。「マイクロトゥールビヨンズ」がそれです。

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出典:https://www.tagheuer.com/

「ワシらの本気、見てみぃや!」みたいな意地を感じる一本。2個のトゥールビヨンを搭載したクロノグラフ。初心者向けと言われるブランドイメージを度外視した反則級の一本です。気になるお値段ですが、大阪なら2LDKのマンションが買えそうな2310万円也。

アクアレーサーやカレラといった売れ筋の価格帯を考えると「タグ・ホイヤーに出していいお値段なのか?」と考える人も多いでしょう。実は私もそんな一人。でもこういうのが腕時計世界の広さと深さ、そして「業」の正体なんですよね。

私が「いつかはナルダン!」と憧れる「ユリス・ナルダン」「フリーク ビジョン」「なんか解らんがカッコいい時計」の代表格ではないでしょうか?

「どれが針ですかね?」ってな感じですが、着けたら絶対にうっとりすると思うんですよね。けれど高価過ぎて私なんぞにそのチャンスは訪れないでしょうから、恐らく永久に「なんか解らん時計」のままだと思います。お値段は「1212万2000円」也。お金があったら買うかと言われれば…住宅ローンに回すでしょうね。きっと。

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出典:https://www.ulysse-nardin.com/

購入したらこんな服や靴に合わせて楽しもう!みたいな当たり前の妄想も、このフリーク ビジョンのように「恐らくこの先も縁がない超高級腕時計」に関しては起きようがありません。そもそも私みたいなフツー人が買えるモノではないこともあって、自分のこととして真剣に考えられないのです。

超高級腕時計に対する私の気持ちを例えるなら、滅多に見ることのできない自然現象に出くわした時の気分に似てるかもしれません。オーロラを見て「キレイやなぁ~」と思ったとしても、オーロラを毎日拝める国に移住して、それを研究したいとは思わない…そんな感覚でしょうか。

さらに言い換えると、深夜の山奥で「精霊を見た」ような感じ。それくらい現実感に乏しく「絶対に縁がない」とさえ思ってしまうのです。

その結果、買えもしない腕時計に「夢を見てはいけない」みたいな、救いようのないルールが完成してしまいました(;´Д`)

それは私という人間がそういったハイブランドに対して、金輪際に縁がないことを示す一種の「反射」でしょう。この先に自分との接点が訪れる予感すらしない。まるで異なる世界線にいるかのように。

このような「縁遠さ」の要因は間違いなく経済的なものですが、それにしても…こと腕時計に関しては自分の中の線引きが極端にシビアなのです。そういう対象って他には全く思い当たらないのですが…

私は自動車の運転にほとんど興味がない人間ですが、プロダクトとしての自動車は大好きなのです。どこどこのメーカーからスゴい新車が出た!みたいなニュースは必ず目を通しますし、好きなカーデザイナーだっていたりします。

それらは自分の経済力では絶対に買えない超高級車なのですが、それでも腕時計に対するような途方も無い縁遠さは感じません。私自身、極々イノセントに「格好ええクルマやなぁ~」と思うだけです。美術館で名画を拝む感覚と同じですね。

ところが腕時計に対する場合は、なまじ勉強して能動的に好きになってきただけに「強すぎる愛情」が災いして、過剰に「神聖視」したり「近寄りがたさ」を感じてしまうのです。

そのくせ、可能な限り色んな腕時計を味わいたいという気持ちだけは強いものですから「欲望」「自制」を繰り返す厄介なアンビバレンツも発生してしまいます。腕時計に関してだけはホンマ、異様にめんどくさいオッサンなんです。

自分の手(お財布)が届く腕時計ならとりあえず「試してみる」ことも可能でしょう。購入で迷っていた腕時計をブティックで実際に腕に乗せてみたら「あ、違うわコレ」っていうこともありましたし、逆に腕に載せた瞬間に「想像よりずっといいな!」と評価を180度変えた時計もありました。「体験に勝る知識はない」ってことですね。

ところが高価過ぎる腕時計の場合、試しに腕に乗せることすら憚られるのです。いやまぁ…ブティックに赴いて「試していいですか?」とお願いすれば、私みたいな小市民にも触らせてはくれるでしょう。超高級品の「リシャール・ミル」だって触るだけなら許してくれるはずです。

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出典:https://www.richardmille.com/

しかし…ここが小市民の小市民たる所以と言いますか…「買えもしない」ことをブティックのスタッフさんに見透かされているんじゃないかとか邪推してしまうのですよ。「冷やかしのくせに…」なんて思われてるとしたら…その辺が怖くて、超高級品に対するチャレンジャーな気持ちも萎えてしまうのです。

私のようなゴリゴリの現実&体験主義者にとっては、自分の経済的理由で「買えもしない腕時計」「触ることも許されない腕時計」だったりします。一般人に向けた作りではない腕時計…つまり、腕時計メーカーの側から「アンタ向けじゃない」と言われているようなモノに関しては、軽々に近付いてはいけない気がするのです。それでも無関心でいられないのもまた事実…まぁ何にせよビビって遠目に見てるだけの状態です。

「超」は付きませんが高級品というのであれば、生意気にも「ロイヤルオーク」を持っていたこともあります。アレを買った頃の私は自分の事務所を開いたばかりでイケイケドンドンでしたから、ピゲと言えどブランドに対する気後れなんて微塵も感じませんでした。

その時分は今ほど腕時計に対するこだわりもなく、何となく近くにいる人が使っているのを見て「いいなぁ~」と思ったに過ぎませんでした。あの時代の業界独特の価値観ですが「これくらいは持っていないとナメられる」というのもありましたね。要するに「仕事ができるアピール」の一つだったと思います。若さ故に「無限の夢」を見ていられた時代のおとぎ話…高級メーカー・ブランドで実体験として私が語れるのはコレくらいです。

私が弊ブログで「微妙な腕時計が好き」…と標榜してからすでに長い時間が経過しました。この「微妙ライン」を蒐集するに至る経緯には、私のお財布事情が深く関係しているのですが、平たく言うと「お金がないから大したものは買えん」ってことです。

それでも頭の中は一端な「腕時計脳」になっちゃってますから、どうにかして自分モノサシで「良い腕時計」を探すワケです。だけど人気のあるものは高値で取引されるじゃないですか?高いと買えないじゃないですか?

となると、時計としての出来は良いけどどういうワケだか人気がない、故に安い…みたいな一本を血眼で探すワケです。そうして集まったのが巷で言うところの「好事家が興味を示さないアレ系な腕時計だった」…というだけの話だったりします。なので本当は「微妙な腕時計しか集まってこない」が正解かもしれません。悲しいけれど認めます(´;ω;`)

私にとって「縁遠い腕時計たち」の中にこそ、腕時計の「真価」が詰まってるのかもしれないと考えると、悔しさで睡眠も浅くなりそうです。だけどそれが「リアル」と全面的に観念して、今回は筆を置きたいと思います。

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