大阪のミナミに「なんばパークス」という商業施設があります。レディースファッションがメインの場所なので、正直私なんかには縁遠いのですが、それでも「Tic Tac」さんだけはこまめにチェック(⇐時計バカの鑑ですわ)
それ以外だと…「くまざわブックストア」「ユナイテッドアローズ グリーンレーベル リラクシング」と利用はそのくらい…自宅から数分で歩いて行ける便利な場所にあるのに、ほとんど活かしきれていません(;´Д`)
在りし日の大阪スタジアム(大阪球場)凄いですね~繁華街のど真ん中、一等地にこれがあったなんて(笑)
現在「なんばパークス」が存在する場所には、今は無きプロ野球「南海ホークス」の本拠地「大阪スタジアム(大阪球場)」がありました。といっても、大阪スタジアムが閉場して長い期間は、深刻な不景気と重なって再開発に手が着かず、だだっ広い住宅展示場としてほったらかしにされていましたっけ(汗)
マイケルが「フゥーッ!」で「アォッ!」(笑)
プロ野球以外では「マイケル・ジャクソン」や「マドンナ」など、内外の錚々たるスターが「大阪スタジアム」のステージに立ちました。大阪ドームができる以前、大阪でイベントがやれる「デカい箱」はここしかなかったんです。現在のうちの家から数分の場所で「世界のMJ」が「フゥーッ!」してたと。冷静に考えるとなんか凄いことです(@_@)
ちなみにこの「大阪スタジアム」。野球場としては「激狭」だったらしく、打球がポンポンとスタンドまで飛んでいったらしいですね。投手泣かせで有名だったとか。
なのでここをホームにする南海ホークスの投手陣は12球団一、コントロールに注意していたという逸話もあります。
それでもまぁ、ひどいチーム防御率だった記憶が…(;´∀`)
さて「大阪スタジアム」といえば「南海ホークス」
「南海ホークス」といえば「野村克也氏」です
正直、プレーされていた全盛期の頃を見たことがありませんので、私の中の「野村克也氏」は監督としての手腕を発揮した「名将」としての存在に尽きます。
選手を心底ヘコませる「ボヤき」に織り込まれた「野球の深み」は、日々のスポーツ新聞で余さず拾われるほどの優良コンテンツでしたし、野村氏が監督をされていた頃の取材は楽だったろうなぁ~と思います。見出しも取りやすかったでしょうしね。
野村氏はマスコミを最大限に利用する術を心得た野球人だったと思います。自分と選手をつなぐツールとしての活用、また野球とファンをつなぐツールとしても、野村氏の言葉は記者の忖度で多少のアレンジを加えつつ、私たちを楽しませてくれました。
特に「ID野球」は素晴らしいキャッチフレースだったと思います。野球のみならずスポーツ全般の「筋肉思考」に対して、インテリなモノの見方を定着させた功績はこの方のものだと思います。一見とっつきにくい「ID」というワードが、実は素人にも得心できるほど洗練された思考大系だったというのは皆さまもご承知のとおりです。
ベストプレープロ野球でも高勝率
私が「ID野球」凄い!と感じたのは「ベストプレープロ野球」というマニアックな野球ゲームで「ID」を実践すると効率よく勝てると解ったときでしょうか。勝てる確率の高い投手ローテを作る。相手先発に応じて打線を組み換える…
勝負どころでの配球でも「ノムさんならどうする?」と自問することで、痺れる展開を何度も物にさせてもらいました。ド素人がゲームで実践して結果が伴うって凄いことですよね?いかに野村監督のメソッドが完成されているかの証左だと思います。
その時点で私の中では「ID野球最高」、野村監督「神」となりました。
スポーツ新聞を手に取る機会は減りましたが、野村氏のコラムだけは逃さず読ませていただきました。野球というスポーツの枠を越えた、あらゆる人に響く人生訓が詰まっていたからです。
その「野村克也氏」が2020(令和2)年2月11日未明、心不全でお亡くなりになりました(84歳没)
もうどんな形であれ、野村克也氏の言葉は聴けません。優しさと愛を含蓄と毒舌で包み、思わず「ニヤリ」とさせられる秀逸なコメントも二度と聴けないのです。サンスポのコラムも読めないのか…
どんよりした気持ちでしたためています…(堺筋本町のコメダにて)
私は10年くらい前に人間関係を含む「今後の人生」で溝にハマったことがありまして、その際に「野村克也氏」の著書の何冊かにはじめて触れました。それは野球選手というより、長くビジネスの世界を生き抜いた古強者の、あるいは「親父」の言葉でした。
野村氏の言葉はなぜこんなに「響く」のか…
野村氏の野球人生はテスト生から始まります。もちろん契約金なんかありません。入り込む余地があると考えて南海ホークスを選んだわけですが、目論見通り、3年目以降、正捕手に抜擢されています。凄いですね。若くしてこの戦略眼。
8年連続の本塁打王、戦後初の三冠王とその記録は長嶋茂雄氏、王貞治氏にも引けを取りません。それでも野村克也氏の野球人生は、最後までコンプレックスとの戦いだったのだと思います。それを如実に現した言葉が…
「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」でしょう。後にご本人が歌手として『俺の花だよ月見草』という歌まで出してます。ないない、こんなに前に出る月見草はない(笑)
売ってました(笑)たしかに子供のころに聴いた記憶があります。
自分でネタにするくらいです。そのコンプレックスの深さは相当なものだったと思います。身長175センチ…ちょうど私と同じですから、プロ野球選手…特に主砲を担うスラッガーとしては小柄です。学生時代の華やかな経歴もなく、テスト生上がりの選手が球界一の捕手に成り上がるには、どれだけの苦労と挫折があったことか…
さらに監督としての苦労。あちこちの球団で監督を任された野村氏ですが、そのどれもが基本的に「瀕死の状態」というハードモード。「再生工場」の異名は一選手の再生だけでなく「野村さんならなんとかしてくれる!」と関係者から頼られ続けた野球人生の揺るぎない称号なのです。
そんな野村克也氏の著書の中に…どの本だったか忘れましたが、「江夏豊氏」についての苦労話がありました。「南海の三悪人」の一人、江夏氏はずば抜けた素質がありながら練習嫌いで知られる投手でしたが、晩年はアチコチの怪我に悩まされボールを握る握力は子供並みに低下してしまったそうです。
「おれはもう終わりだ」と弱気になる江夏氏を支え続けた野村氏。江夏氏は野村氏が当時住んでいた同じマンションに引っ越してまで「野球の何たるか」を徹底的に教わったそうです。もうね…漫画みたいだ(汗)
江夏氏が晩年、今で言うクローザーとして大活躍できたのは間違いなく野村氏の功績なのです。
自らも「稀代のスーパースター」でありながら、誰にでも平行目線で語りかけることのできる野村氏の根底には「自分を過大評価しない」「自分の功績を盾に他者を貶めない」という意識があると思います。どんな相手にも美点を見つけることのできる冷静な分析力は、捕手として培った卓越した「観察眼」の賜物です。野村氏は「自分は野球しかできない」と仰っていましたが、野村氏だからこそ野球から全てを学び得たのだと思います。
凡百の啓発本が裸足で逃げるレベルの高さです。
マネージメントに苦心する現在の私にとっては、野村氏の著書は最良のビジネス本として役立っています。ジャンルが違うからそぐわないなんてことはないです。わかり易い言葉で、それでも「はっ!」とさせられる例えがたくさん載ってます。私も普段、野球やプロレスに例えて若い人に説明することがありますが「逆に解りづらい」と不評です(汗)しかし、野村氏の言葉なら大丈夫。野球に例えられても膝を打ちたくなるようなお話ばかりです。
「野村ノート」は野村本の入門編にオススメです。
若い世代にも「すごいな!」といえる頭の柔らかさが「すごい!」
本職の作家顔負けの著作数を誇る野村克也氏ですが、わたしもまだ3分の1くらいしか読めていません。自らを「凡人」と称した「偉人」の思考に迫るためにも、いずれ読破したいと思います!
ノムさんって時計好きだったのかな?
弊ブログ的にはこの興味をスルーするわけには参りません。「時計を知れば人物が解る」と古代ギリシャの哲学者ソクラテスも言ってるとおり(言ってません)時計の趣味には多くの情報が含まれています。
しかし…調べる術がないわな…
と思っていたら、調べてる方がいらっしゃいました!なんて暇…いや!ありがたいことです!
参考にさせていただいたサイトさんによりますと、以前、これを着けて野村克也氏がテレビに出てたそうです。えぇ!!!
Jacob&CO(ジェイコブ)
ファイブタイムゾーン
…の一種みたいです。そもそも「ジェイコブ」に全然詳しくないのですが、凄い値段の割にクオーツが多いんでしょうか???それにしても…これダイヤ満載できらびやかすぎて、ハンドが埋没しちゃってませんかね?こんな視認性の悪い時計がお好きだったとは…(;´∀`)
他にも「ハリー・ウインストン」のもの凄い時計もされてたそうです。派手好きだったんですね~。夫人の影響は多々あったと思いますが、確かに野村氏のキャラクターに合っているような気がします。少なくとも本人が時計に格で負けるようなことはないですから。
それにしても、老年に入ってからの「ジェイコブ」には驚きです。高級腕時計の中でも特別異形なトンデモ時計ですから。腕時計馬鹿の私でさえ、さすがに躊躇するかもしれません。
お亡くなりになる寸前まで「オレにヘッドコーチを任せろ」みたいなことを「生徒」であるヤクルトの高津臣吾監督におっしゃってたみたいですし、生涯挑戦者の姿勢を崩さなかった頭の柔らかい野村氏らしいかもしれません。
若い頃からすべてを一流でこだわったという話も、いずれかの著書の中にあったような気がします。パ・リーグの中でも特に不人気だった球団の中心人物として、セ・リーグの人気球団とその選手に対する意地がそうさせたのかもしれませんが、野村氏の並外れた観察眼は、そんじょそこらのまがい物を身につけることに耐えられなかったのかもしれないなぁ~と想像したりもします。
野村克也氏は否定するかもしれませんが、どんな人生を歩みたいかと訊かれたら、野村氏のような「成果を自分で掴み取る」人生が一番カッコいいと思っています。青春の苦悩も壮年の悲哀も全部味わって完成した「野村克也」は最高に素敵でした。
どうか、安らかに。
この本、話題になりましたね。
肝に銘じなければ(汗)
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