Table of Contents
修復は善?? それとも悪??
にもかかわらず、まるで散らかった自室を掃除するかの如く安々と「修復」される美術品は少なくありません。美術品が完成した当時の「フレッシュな姿」を見たいと考える「奇特な人」がいらっしゃる証左なのでしょうが、ぶっちゃけ私には「無用な行為」としか思えないのです。執念すら感じる高度な修復技術自体には尊敬の念を抱きつつも「そのままの方が絶対に良いのに」としか思えないケースの多いこと (;´Д`)
記憶の拠り所を失う
煤と埃の説得力
歴史は不可逆であるべきだ
大前提としてお話ししますが、一番大事なのは「自然の摂理でそうなった」という事実だけだと思います。「システィーナ礼拝堂の天井画」は決してほったらかしで煤けたわけではありません。信者に「神の世界」を見せるための「教材絵画」として、最大限大切に扱われ、存分に実用の使命を果たした末の「煤だらけの姿」だったはずです。数百年前の信者が祈りを捧げつつ見上げた天井画を、現代の私たちが同じように見上げる… それこそが歴史と美術を尊重する上で意味のあることだったと思います。 「一旦新品同様に磨き上げて、再び歴史を歩ませればよい」… 腕時計で例えるなら傷だらけのケースを研磨して、ボロボロに腐食したダイヤルをリダンで載せ替えるような感じかもしれません。腕時計ですら「そんなことしたら台無しですがな!!」と鼻白む方は少なくないでしょう。人類全体の宝とも言うべき「システィーナ礼拝堂の天井画」なら尚更です。
腕時計の場合を考えてみよう
「そこまで言うならもう一度煤まみれにしてやろうじゃないか!!」とはいかないのが美術品。扱いに繊細さを擁する絵画では特にそうです。美術品のエイジングなんて、悪名高い贋作事件でしか聞いたことがありませんしね。要するに戻すことも進めることも叶わないのが歴史。だからこそ好事家のお歴々が「アンタッチャブルな価値」にメロメロになるわけですが… (;´∀`) 美術品と実用品の中間にある「腕時計」の場合はどうでしょうか?? 特に価値があるとされるものの中には、一級品の美術品と変わらぬ金額で取引されるものもありますが、この先は庶民の私でもギリギリ入手できる可能性がある時計をイメージしつつ、話を進めたいと思います。古い時計がボロボロなのは当たり前
例えば「過度なリダンに価値無し」のような考え方は、当然ながら対象の時計が積み重ねてきた歴史の「分断」を嫌ってのことでしょう。ある程度の本数量産された腕時計… つまり「全体の中の個」を考えるとき、年式から言って「これくらいボロボロになっていて当然」という常識的な基準があると思います。 中古… 特にヴィンテージと呼ばれるくらい古い時計と相対する場合は、この「常識」こそが「失敗しない買い物」の道しるべになるでしょう。「年式にしては状態が良い個体」に出会えばそれはご褒美かもしれませんが「良すぎる個体」に関しては疑ってかかるくらいが丁度良いと思います (;´∀`)歴史を尊重するからこその「フォティーナ ウォッチ」
美術では禁忌でも、腕時計なら(ある意味)許される「歴史的価値の擬似的創出法」があります。それが俗に言う「フォティーナ ウォッチ」です。 「フォティーナ」とは何ぞや?? ですが、経年変化「patina」という単語に偽物を意味する「faux」を合わせた言葉… ある種の揶揄を含んだ造語です。すでに胡散臭い空気が漂ってますか?? まぁそう言わず続きを読んで下さいな (;´∀`) 一番解りやすく「フォティーナ」として定義されているのは「夜光塗料」でしょう。ヴィンテージに見られる色合いを再現したものが所謂「フォティーナ夜光」と呼ばれるもので、すでに多くのメーカーが当たり前のように取り入れています。ここまで来ると「フォティーナ夜光」に関しては完全に市民権を得たと述べても間違いではないでしょう。「あの黄色く『着色された』夜光が嫌いだ!!」とのご意見をお持ちの方もおられるかもしれませんが、時代の本流には逆らえません。好き嫌いは趣味の問題だと言えます。 ちなみに私自身はこれまで「フォティーナ夜光反対派」でした。「白く真新しい夜光が年月の魔法で黄色く枯れていくのが良いんじゃないか!!」と、さも真っ当な立場を通してきたのです。今もその土台部分の考え方は変わっていませんが、やはり時代には抗えません。それに何と言いますか… 明らかに巧みになってますよね?? ヴィンテージ感を醸すエフェクトが (*´ω`*) 「ホディンキー」さんの過去記事によれば「フォティーナ夜光」を最初に使用した時計はジャガー・ルクルトの「メモボックス トリビュート トゥ ポラリス」だそうですが、発表当時のメディアは驚きとともに総じて好意的な反応を残しています。というのも「スーパールミノバ」に代表される現代の夜光塗料は高性能故にラジウムやトリチウムのような変色が起きにくい。そこで「フォティーナ夜光」が「見た目のヴィンテージ感」を確実に得られる手段として有効であると評価されたのだと思います。歴史を尊重し、素直な憧憬に従ったからこその「フォティーナ夜光」だとすれば、これはこれで意味のあることではないでしょうか??マジと悪ふざけの境界線
夜光に関する限りは筋金入りの愛好家諸兄も「やむなし」と考えているかも知れません。最初から「黄色い夜光の方が似合っている」時計だってありますし、一種の「カラー夜光」だと考えれば、そう目くじらを立てる話でもないでしょう。 ただ、他のパーツ… 例えば「針」がヴィンテージ加工されていたならどうでしょう?? 反射的に抵抗を感じる人の数は跳ね上がるのではないでしょうか??
「フォティーナ ウォッチ」は冒涜か?? それとも救済か??
ここで今回の記事を書くきっかけにもなった「フォティーナ ウォッチ」… ニバダ グレンヒェンの「クロノマスター(トロピカル ダイヤル)」の全体像を見てもらいましょう。フォースナーのリベットブレスに換装したこともあって、ヴィンテージ感マシマシでございます(笑)
フォティーナの愉しみ
歴史的価値の高い「経年変化」を模倣して作られるのが「フォティーナ ウォッチ」。要するに「なんちゃってヴィンテージ」である事実は、どう足掻いても変えようがないのです。ですが、そこをまるっと飲み込んで受け入れたなら、こんなに奥深い解釈のできる加工もないと思います。 まず施された「フォティーナのあり方」で、メーカーのヴィンテージに対する考え方がある程度読み解けます。例えばクロノマスターの場合、ダイヤル関係のフォティーナ仕上げは「これでもか!!」ってくらい強烈です。しかし、ケースに関しては極々キレイなまま。
フォティーナで「お手軽ヴィンテージ」の世界へ
正直、本物のヴィンテージ ウォッチは現行品のように「気軽に使える」わけではありません。全体的な劣化は明らかですし、防水は「無いに等しい」場合が多い。気象条件やその日の行動を考慮した上で慎重に使わないと、いつ何時、取り返しの付かない事態に陥るとも限りません。雨が降っていればヴィンテージの時計は候補から外す… 私自身はそんな使い方です。
格好良ければそれでいいじゃない!?
私だって「フォティーナ最高!!」と割り切っているわけではありません。ですが、フォティーナを一種のカルチャー… 「ファッションの一つ」だと割り切れば、それを拒絶する理由はどこにもないと考えています。愛好家の端くれの小さな拘りで、こんなに「格好良い味付け」を施された時計を遠ざけるなんて… 勿体なさすぎますしね (;´∀`) 大学時代の話しですが… 古着屋さんでデニムを買い、そこに黄色のペンキを塗りたくって、怪しくもグランジなボトムを作ったことがあります。同級生には「なにそれ!?」と否定されましたが、私個人はご満悦でした(池袋で友人と待ち合わせて遊びに行く際に履いていったら、本気で嫌がられましたが… ) 今風に言えば「盛る」に近い感覚でしょうか?? 凡百のユーズド リーバイスでも、ひと味効かせて「盛る」ことで、他とは違う… 何か特別なものが生み出せるように思ったのでしょう。「人と違うことがしたい!!」と考えたのは当時の美大生にありがちな拘りだったかもしれませんし、一種の「ハッタリ」だった可能性もあります。 私は「フォティーナ」にそれと似た何かを感じるのです。少しの背伸びと、特別な何かが生まれる予感… ヴィンテージの格好良さに触発されて生まれた「フォティーナ」に感じる「独特のくすぐったさ」の正体は、そこに「若気の至り」にも似た懐かしい何かを見たからではないかと考えています。 ヴィンテージのテイストを極々素直に再現することの「愚直な格好良さ」。そして少々の「やっちまった感」。その辺りにシンパシーを感じる方であれば、未だ評価の定まらないところがある「フォティーナ ウォッチ」であっても、つまらぬ先入観を捨てて、気軽に楽しむことができるはずです (*´∀`*)「フォティーナ ウォッチ」に倫理的な問題はあるのか??
これに関する論点はたった一つでしょう。要するに「コレクターを騙すつもりがあるか否か」に尽きます ( ー`дー´) 「夜光が飴色に変色してもおかしくない年式」の時計に「フォティーナ加工」を施せば「欺く行為」と言われても仕方がありません。可能性として「あり得る」時計をベースにエイジング カスタムされたものを「フォティーナである」と見破るのは至難の業かもしれないからです。 例え誰かを騙す目的で作られたものではなくとも、誤解を生じる可能性の高い「紛らわしいフォティーナ」が二次市場に流れ出た場合、それによって生み出される混乱と被害は予想も付きません。そうなってしまう可能性が僅かでもあるならば、その手の「フォティーナ」には「倫理的な問題がある」と考えるべきでしょう。 ここで先述の「トロピカル クロノマスター」の話に戻りますが、彼の時計を好意的に捉えることができる理由はここなんです!! 「トロピカル クロノマスター」を見て「本物の経年変化により生じたパティーナ ウォッチだ!!」と判断する専門家は恐らく1人もいないでしょう。そりゃあそうです。「トロピカル クロノマスター」には、本物のパティーナ ウォッチに間違われるはずがない幾つもの「物証」が備わっているからです。 まず、ピカピカで新品仕様のケース。そしてムーブメントは「SELLITA SW510 M」です。少しでも腕時計に造詣のある方にしてみれば、これだけでも十分に「ヴィンテージに間違われない理由」になりますよね??「フォティーナ」だって時間が経てば変化する(はず)
最後に…
自分自身が長年使ってきた結果として、魅惑的な経年変化が現われた時計にこそ最大の価値がある… ここだけは揺るがないと思います。 実際、パティーナの具合で時計の状態をある程度把握できる場合があります。美しい経年変化は美観を芳醇にする以外にも、どのように使われてきたのかを示す「履歴書」でもあるのです。 ここにホディンキーさんの記事を一部引用させていただきます。最も人気のある実用時計にとって、色あせたトリチウムはその真正性と果たすべき機能への献身の証である。フォティーナを使えば最悪の場合、本物の計器としての時計ではなく、絵に描いた時計を腕に着けているような心地にさえなるだろう。フォティーナには、その古めかしさの「根拠」となるものがありません。古っぽく見せかけているだけなのですから当然ですが、腕時計の歴史を最大限尊重することで「愛を証明」してきた愛好家にしてみれば、安易に歴史を具現化したフォティーナを忌避する気持ちになってしまうのも当然です。めっちゃ解ります。その「基準点」に関して言えば、全くもって私も同じだからです。 ただ結論から言えば、フォティーナはすでに市民権を得ていると思いますし、その好き嫌いについての議論を無理に沈める必要もないと思います。好きなら買えば良いと思いますし、嫌いなら避ければ良い。それくらい「当たり前のスタイル」になりつつあるのです (*´ω`*) そう言えばこんなことがありました。某有名ヴィンテージ腕時計専門店に遊びに行く際、「トロピカル クロノマスター」を着用して行ったのですが、話の流れのままスタッフの方々に時計をお見せしたら… これがアナタ「大モテ」も良いところ(笑) 中でも筋金入りのヴィンテージ コレクターを自称するお一方は興味津々のご様子で、そこには「フォティーナ憎し!!」みたいな感情は一片もなかったのです。 要するに「フォティーナ ウォッチ」はヴィンテージの価値を毀損する存在などではなく、むしろヴィンテージに興味を抱くきっかけになり得ると考えているようでした。 クロノマスターに終始、「良く出来てる!!」と唸りっぱなしのスタッフさんでしたが、決して「本物に見える」とは口にしませんでした。そうなんです!! フォティーナ ウォッチは絶対に「本物のヴィンテージに見えてはいけない」のです。 この約束事を守ることこそが「フォティーナ ウォッチの生命線」であることは間違いないと思います。そしてフォティーナ ウォッチが「偽パティーナ」としての筋を通す限り、本物と偽物、「2つのヴィンテージ スタイル」はこの先も共存できる… 私はそう信じています (*´ω`*) 【余談です】 ホディンキーさんのフォティーナに関する記事の中で「ヴィンテージ熱につけこんで金儲けするペテン的存在」というどぎつい表現がありました(ホディンキーさんの記事に見られる攻めた言葉遣い… 私は好きです) 恐らくはイノセントなコレクター諸氏を代弁する意味合いで、敢えて使った言葉だと思うのですが… ぶっちゃけ「つけこんで金儲け」って、古今東西ラグジュアリー ビジネスの十八番じゃないですかね?? あらゆるアプローチで貪欲に儲けにいく… 個人的に腕時計はそれで良いと思います。そこにチャンスがあれば強引に掴み取る姿勢… 無策のまま停滞するよりは「百倍もマシ」ですしねぇ(笑)









ご意見・ご感想
コメント一覧 (2件)
Y太さま。
コメントありがとうございます♬
私も同じです。
お気に入りの時計に傷を付けたその日は、枕を濡らして眠りますよ(;´Д`)
でも不思議なんですよね~
半年も経つと、その傷を俯瞰して見れるようになっちゃうんです。
デスマッチファイターの背中みたいなもので、これも勲章かなぁ~なんて。
傷が入ってからが本番です。
これでようやく自分の物になった!!くらいに思っちゃいましょう(*´∀`*)
最近私もオメガスウォッチを落下させてしまい、塗装が剥げてしまいました。
同じような色の塗装材を見つけ、色を塗って目立たなくさせましたが…
これも味かと割り切ったつもりではいますが、やはりお気に入りの時計の最初の傷ってショックですよね…笑
いつか自分にもお気に入りの時計の傷をいかに愛せるマインドが芽生えたらいいなと思っております。
(貧乏症ゆえにそのマインドが芽生えるのはいつになるかわかりませんが…笑)