すでに2年くらい迷っている案件ですが、近々「フランク・ミュラー」を買いたいなぁ~と考えています。しかし悩んだ割に最終的な「第一候補」まで上がってきたことがなく、結局はその逡巡の2年の間に、他の様々なブランドの時計が先を越して手元にやってきました(;´Д`)
私は最終的に、自分の腕時計コレクションで「世界の腕時計地図」を作りたいのじゃなかろうか…と思うことがあります。そういえば昔々…小学生の頃に買ってもらったお気に入りのオモチャの中に、巨大な「日本地図のジグソーパズル」がありました。組立作業の最終段階で「栃木県」を紛失してしまって、残念ながら完成に至らなかった悔しい経験が思い出されます。恐らくオフクロが掃除機をかけてくれた時に誤って吸い込んでしまったのでしょう。盛大に床に広げて組み立ててましたからねぇ。完全に私が悪い(汗)
私にとって「フランク・ミュラー」の時計は、ハメたくてもハメられなかった「栃木県のピース」を想起させます。欲しい…というよりも、手に入れなくちゃこのコレクションが終わらない!という一種の強迫観念のようなものです。いやもう完璧に勝手な思い込みですが…(;´∀`)
「フランク・ミュラー」の時計には御存知の通り、それはもう立派なお値段が付いています。「天才時計師」という枕詞が付きまとうとはいえ、あそこまで高くなくちゃいけない時計なのかは正直なところ疑問です。実際、雑誌やWEBで写真を見ても、そこまで高い時計には見えなかったりします(素敵ですが…)しばらく身に着けてみて初めて分かるタイプの「充足感」があるのかも?
私が「フランク・ミュラー」の時計を最後のピース候補に考えている理由の一つには「予想外のアンチの多さ」があります。これだけ世界的に知られたブランドでありながら、いわゆる「腕時計好き」コミュニティーからのウケは、正直なところあまりよろしくありません。アンチのアンチという立場に立ちたがる天の邪鬼な私としては、ずっと「気になる時計」だったのです。
思うに不思議なブランドです。腕時計好きに支えてもらっていないのなら、一体誰に支えてもらってるんだろう…例えばファッションの一部として捉えた場合、一般人からすればそれは相当に高価な買い物になるはずです。高級腕時計としてはある程度常識的な価格ではありますが、それは時計好きだから鵜呑みにできる狭い世界での話です。それほど腕時計に興味のない層からすれば、間違いなく根性のいる買い物になるでしょう。
これは全く根拠のない私の独断ですが「フランク・ミュラー」の時計は、ある種の「狂騒」の中で買うタイプの時計なのではないかと思います。勢いとノリに任せて深く考えず買う!それが正しい「フランク・ミュラー」の買い方なのでしょう。
そういえば、これも「一本くらいは手元に置きたい」と考えている「ウブロ」の時計も、それに近い「勢いで買う」時計だと思っています。どちらも真剣に考察すると、「こんなにお金出すなら先にコッチを買う!」みたいな感じで後手に回されそうな立場がよく似ています。
誰に支えてもらっているブランドなのか?ということで考えれば「フランク・ミュラー」にしろ「ウブロ」にしろ、それは、多少の買い物くらいではチマチマ逡巡しないで済む「ハイクラスの住人さま」なのでしょう。少なくとも私のような平々凡々なサラリーマンでないのは確かです。かく言う私にしたところで、最初の一本として「フランク・ミュラー」を買うなんていう冒険的発想は持ち得なかったと断言できます。
ところが、あと十数本で「100本」の腕時計を保有する現状に至ると、何ともかんとも「フランク・ミュラー」というピースをハメてみたくなったのです。
そもそも、トノー型の時計の代名詞といえば「フランク・ミュラー」でしょう。もちろんそれ以前にも沢山のトノー型、あるいは丸みを帯びたカレは存在していたと思います。しかし、トノー型をブランドの中核、フラッグシップに据えてブランドの中で定座を与えた功績からいえば、トノー型の雄はやはり「フランク・ミュラー」なのです。
ですからトノー型の時計が欲しいなぁ~と思うとき、それは必ず「フランク・ミュラー」の影を見ていることになります。そもそも時計の形状においてここまでの支配力を発揮しているブランドもそう多くはありません。ベルアンドロスやグラハムはその形状の支配力に魅せられて買うことになったブランドですが、どちらも「奇抜が売り」なところがありますので事情が異なります。伝統的な形状の一つであるトノー型時計に関するイメージをほぼ完全に支配している時点で、「フランク・ミュラー」というブランドの存在は相当に特別なものだと思っています。
「フランク・ミュラーなんて見た目だけ!」と断じるアンチの中に、かつては私も入っていました。「ほぼETAポン」の安物に雰囲気でかさ増ししただけのエセ高級時計…そんな論調もありましたよね(汗)私も同様に感じていた一人です。
しかし、しかしです。
先日、「フランク・ミュラー」のブティックに伺って実物を拝見しますと、なにかちょっとだけ解ったような気がしたのです。
私が拝見したのはシンプルなトノーカーベックスの「カサブランカ」でしたが、手元のトレーに置かれても「ワクワク」や「ドキッ」がないのです。あまりにも「普通」なのです。何ですか…「ああ、カサブランカやな」ってな感じでした。
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その時点で私の興味もそれほどでは無くなって、失礼ながらまるで作業のような感じで左腕に載せてみたのです。
しかしその瞬間、全ての印象が一変しました。初めて載せたそのカサブランカが、小悪魔ばりにしなを作って、私に全力でアピールしてきたのです。変態的な言い回ししか出来なくて恐縮ですが、本当にそんな感じでした。
一見「ツルん」とした変哲のないルックスなのですが、細部、それも「解る人にしか解らない」部分がもの凄く上質なのです。ケースもブレスもほぼ完璧な造形ですが、何より「ダイアル」の美しさに心を射抜かれました。
特に細工に凝ったダイアルではありませんでしたが、アワーマーカーの書体の手描き感が絶妙でした。ハンドやリューズを見れば、これ見よがしの押し出しとは真逆の、やんわりとした素性の良さが解ります。手にして間近で観察して初めて実感できる「工芸的な魅力が飛び抜けて高い時計」なのです。いやはや眼福。だってそっち方向に優れた腕時計は、私のコレクションの中にはほとんど見当たりませんから。
良い腕時計のほとんどは、持つ人の気持ちを高揚させる存在だと思います。身に着けるだけで気分が戦闘モードに入る時計だってあります。ロレックスなんかは典型的な「アゲ」な時計ですよね。
しかし、「フランク・ミュラー」の時計はむしろ「気持ちを落ち着かせる時計」だと思いました。決して「サゲ」な時計という意味ではなくて、何となくホッコリさせてくれるのです。それはド派手なコンセプトが売りの「ヴァンガード」にすら感じられました。まるで底冷えする夜にふらっと立ち寄った銭湯の「ラドン温泉」のよう…( ゚д゚)
思うに、「フランク・ミュラー」の時計には不思議な「抜け感」があるような気がします。生真面目に最高を追求するスイスの時計業界の方向性とは何かが根本的に違います。ちょっとした「おふざけ」を加えてきてる…そんな風に感じるのです。
これはどうも、フランク・ミュラーという人物の出自に関係がありそうです。彼の生まれはスイスのラ・ショー・ド・フォンですが、母親がイタリアの人ということで、厳格な職人気質だけではない「おおらかさ」も持ち合わせているのでしょう。それが彼のブランドの生み出す時計にも同様に現れているのだと思います。そしてそれこそがフランク・ミュラーの腕時計の特徴であり、最大の魅力なのです。
数々の複雑時計で超絶技巧を見せつけてきたフランク・ミュラーという人物が、自分の腕時計を万人に届けたいという想いから、ある種の折り合いをつけて誕生したのが現在のラインアップだと思います。ならば、「フランク・ミュラー」というブランドに対しては、そもそもスペック云々でとやかく言うべきではないのです。
「優しさ」や「ぬくもり」といったスペックシートに現れないものを感じさせてくれる、稀有な存在のブランドなのですから。
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