少し前に、ジラール・ペルゴの「ロレアート」が欲しくて近所のデパートまで見に行った話を書きました。その後、揺れに揺れて考えに考えた結果、これまで見えていなかったものが見えてきた(見えてしまった?)ので、それについて書きたいと思います。
高級時計を何個も買える身分ではない私なので、「ロレアート」クラスの時計と対峙した際、「これは私の時計趣味のゴールになるかもしれない」と直感しました。雲上には届きませんが、そのすぐ下のクラスになる高級時計ですから、私のような小心者にはさもあらんといったところです。
この「終の時計」という考え方は、時計愛好家の方々との会話の中でも、度々話題に上る定番のネタの一つです。
SNSではかなり無責任で楽しい議論がなされています。私も買えもしない高級時計を引き合いに出して、「あーだこーだ」と煽ってきました。
ところが、「ロレアート」という私にとってかなり「リアル」な価値を持つ時計を拝見した時、これなら「買える」という高揚した気持ちと同時に、得も言われぬ淋しさが襲ってきました。
「これが終の時計になるかもしれない」という思い。終の時計を得る事自体は、時計愛好家の悲願でもあり、そのために博識を高めて仕事を頑張り、コツコツとお金を貯めるわけです。目的に向かってひた走る疾走感とでも申しましょうか、忙しい日々に張り合いをもたらしてくれるのは間違いありません。
しかしその「張り詰めた感覚」は終の時計を得た瞬間に霧散するのではないか?…そんな風に感じて以降、終の時計について考えることが少し怖くなってしまいました。
物事には必ず「終わり」があります。坂を登りきった場所か下りきった先かは解りませんが、そこには何らかの結末が見えるはずです。そして私は「今」それを見ることは、まだまだ早すぎるんじゃないかなぁ~と考えました( ゚д゚)
先刻の【強欲NEWS】でもご紹介した「3針のオシアナス」もそうですが、私にはまだまだ知りたい(体験したい)時計が沢山あります。「欲」なのか「好奇心」なのかも定かではありませんが、とにかく、自分で所有して使わない限りどんな「感想」も「評価」も下せるわけがありません。日常のあらゆるシーンで苦楽を伴にして初めて「モノの本質」が見つかるのだと思います。例えば高名な美術評論家が語る「ピカソ」と実際に数点を所有する「ピカソコレクター」が語る「ピカソ」では、全く異なる評論を聞くことができるはずです。果たしてどちらの評論に耳を傾けたいでしょうか?やはり私は「所有しない限り絶対に解らない」話を伺いたいですね。
私の時計趣味のゴールは、まだまだ先にしておきたいと思います。自分に可能性を感じるうちは、何かを求める「欲」は次の行動のための「燃料」になると思っていますから。
今は、「あの頃は買えなかった憧れの時計」みたいな視点で、ちょっと懐かしい時計を探しています。中古でもいいですし、復刻版でも構いません。「ロレアート」を買うことを考えれば、3つくらい同時に買えちゃうかもしれませんね。うん、いいなぁ~それ。すごい贅沢じゃないかぁ(〃∇〃)
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