読んで下さってる皆さま。お忙しい中本当にありがとうございます。専門知識も乏しく、さしたる情報通でもございませんが、今後もぼちぼち「腕時計と日常を舞台に」書いていきたいと思います。
めっきり暖かくなりました(*´ω`*)
ジャケットとシャツの季節が来ると、小ぶりな時計がキマってくる。シャツの袖にするっと収まる気持ちよさ、腕を曲げて時計を見たときの、ジャケット&シャツ、重なる袖口と腕時計のコンビネーション、その三位一体な美しさ…腕時計趣味の一番の良さは、仕事中でもプライベートでも、一日のどんな状況であろうとも自分の左腕をチラチラ見ることで、僅かな満足感と癒やしを得られるところだと思う。
実際、イラッとした直後に腕時計を見つめて、スーッと気持ちが落ち着いたことが何度もある。安定剤を飲むよりずっと効き目がある。
時計を趣味にしている方なら間違いなく、この感覚を体験しているのではないだろうか? さぁ!悲しい時は時計を見るんだ!
そんな腕時計バカの私も、10年近く腕時計をしていなかった時代がある。買ったはいいが使わないという勿体無い期間を経て、売れるものは売り払ってしまった。
まだ20歳代の頃(一番稼ぎがあった時代)に手に入れたオーデマ・ピゲのロイヤルオーク。その十年後くらいに買ったパネライのサブマーシブル。
どちらも数えるほどしか使った記憶がない。その頃の私は手首にジャラジャラとブレスを巻いていることが多かったので、物理的に邪魔だったのもその理由。
あと、今では信じがたいが、「持ってるだけで良い」という感覚もあった。「腕時計とかしないの?」と聞かれた時に「ピゲは持ってますよ」と(不遜に)返せればよかった。若かったし、イキってた…若い頃の自分を3メートルくらい助走してから盛大に殴り倒してやりたい(;´Д`)
それでも大事な商談や打ち合わせの際、腕時計なしでは流石に神経を疑われる時代だったので、オメガのスピマス(トリプルカレンダー)だけは時々使うことがあった。
ビジネスと冠婚葬祭を賄ってくれる便利な時計だったが、さほど自慢にできるような時計ではない。そこそこのクラス感、嫌味がないおとなしいデザイン。
やはり「愛がなかった」のだろう。全く手入れもしないままで、リューズやプッシャーも不調になりどんどん重くなっていく(ゴリッゴリッっていう感触)
ところが、本当に「時計愛」がなかったので、それがどえらい不調だと解らない。オーバーホールなんてものも念頭に一切なく、「たまに使うだけだからほっとけ」みたいなぞんざいな扱い。
ある時、急なお葬式があって(葬式は須らく突然ですが)その時もスピマスをして出かけた。用事が終わって帰ってくると「なんだこれは?」
シャツの袖口が「真っ黒け」なのだ(@_@;)
袖を折り返してみたら、裏が表現しようのないレベルで黒く汚れている。
その時は念珠のブレスを着けていたので、それを疑ってタオルで拭ってみたが、汚れは確認できない。じゃあ…とスピマスを拭ってみた。
ステンレスブレスの強烈な汚れ。あと、なんか臭うし…なんじゃこれは!
毎日使う訳でもないのに、人間の皮脂と汗でこの汚れ。いや、毎日使わないからこそかもしれない。汚れの上に汚れが付いて乾燥して…のミルフィーユ。そう言えば、布で拭いたことすらなかったと思い返した。
結局、オメガのサービスに相談してオーバーホールとなり、洗浄と仕上げが施されたスピマスは購入当初の輝きを取り戻した。(汚れが時計内部に侵襲して、エライことになってたらしい)勿論、袖に汚れが付くこともなくなった。
因みに、袖口が汚れた白いシャツ(そこそこお高い)の方は、クリーニングでもキレイにならずゴミ箱行きとあいなり…
私の記憶に完全な「トラウマ」として刻まれました。
「腕時計が趣味」と自覚する今となっては、この経験を証左にして「腕時計は使ったら拭く」を日課にしている。大きめのセーム革でくるんで静かに拭ってやる。その日一日を振り返りながら時計の状態を思いやる。その時間が好きで愛おしいのだ。
(セーム革はだんぜん大判が使いやすいです。一度洗濯してから使うと、油が抜けていい感じになりますよ)
手をかけただけ応えてくれるのが「腕時計」だと、今なら言えるかな。
余談だが件の「スピマス」はすでに手元にない。
売ったわけじゃない、誰に上げたでもない。ただ、「無い」のだ。ちょっとした手違いで…(;´Д`)
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