謹啓、愛読者の皆さま。
使ってますよ~燃える男の復刻キングダイバー!
先日よりご協力いただいている「腕時計のサイズに関するアンケート」ですが、私の予想を遥かに超える多くの方に参加していただけているようです。多数のコメントも頂戴しております。お忙しい中のご厚意、嬉しすぎてニヤニヤが止まりません(*´∀`*)
正直言いまして、自分でもそんなに大層なネタを書けているとは思っていません。もっともっと下地の勉強をしながら自分の教養を深めて、そこから掘り下げていくようにできれば良いのですが、限られた時間内ではなかなかに難しいのが現状です(;´∀`)
そんな私のブログでも楽しみにして、応援して、愛読して下さる読者がいる…幾ら絶滅危惧種の「腕時計ブログ」と言えども、これだけの安定した支持を頂けるとは思ってもいませんでした。
本当に感謝しかございません。
つくづく幸せものだと思っています。
私自身、ブログを書く機会はこれまでにも何度もありました。しかしながらどれも長続きせず、書いてきた自分のブログのURLさえ忘れる始末で…どこかのサーバーで無駄な記憶として朽ちていると思うと不憫です(泣)
ちゃんと始末できれば良いのですが…(いずれは読み返してみたい気持ちもあったりして…)
ある程度同じテーマでブログを続けてみて、何となく解ったことがあります。それは「長く続ければ続けるほど、自分の『素』が出ちゃう」ということです。
長く続けていると「あれ?似たようなネタで書いてるけど…どう結論づけたっけ?」などと思うことがあります。どんどん記憶が怪しくなる年齢でもありますし、過去記事を参照するのも面倒くさい…いや、カンニングみたいな気がするのです。
そうなると多少の「変節」はお構いなし、という開き直った姿勢になります。最初のうちはそれでもある程度落とし所の「定点」を決めておかないと申し訳ないなぁ~と思っていましたが、最近は「変節上等!」なスタンスに変化しました(;´∀`)
「揺るがぬ意志」ってやつがあるにしても、状況の変化に応じた変化はあるはずです。腕時計が好きな人でも時代の変化に応じて、その趣味性を変化させることがあると思いますが、そんな感じです。
そもそも私は「断固たる決意」みたいなものが苦手です。本業でもそうですが、そういう物を決めてしまった瞬間に、思考がその一点に固着してしまう気がするのです。柔軟性を失った思考からは、価値あるものは何も生まれません。
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幼少時に空手を学び始めた頃、最初に「空手って凄いな!」と子供心に思ったのは、「内八字立ち」を教わった時でした。
最初はみんな白帯(初級)です。この次の黄帯になったときが一番うれしかったかも知れません(*´∀`*)
空手の「立ち方」は「直立」から始まって「四股立ち」に至る連続的な足の運びに特徴があります(前屈立ちなどは除く)
その中間あたりに「内八字立ち」はあります。その名の通り女の子のように内股状態で立つ形です。はじめ教わった際は「女の子みたいでかっこ悪い」と大抵の少年たちは真面目にやりません。私もその一人でした。
「おい!おまえら~この立ち方の凄さを教えてやるよ!」メガネを掛けた先輩女子部員が小学2年生までの部にやってきました。「まずは好きなように立ってみて!」そういわれてガキンチョどもはそれぞれ、オリジナルのふざけた立ち方でクスクス笑っています。
「よし!」メガネ先輩は並ばせた私たちガキンチョ軍団それぞれに、軽めの正拳を次々打ち込んできました。後ろにゴロゴロ倒れるガキンチョ軍団。
「立ち方が悪いんだよ!だから倒される!」
メガネ先輩はそういうと、その頃は一番身体が大きかった私を引き起こして、足の位置を無理やり内股にしました。そして軽いケリで両膝を外から回し蹴り。そうなると私の膝は「カクン」と緩くなり「おしっこを我慢する子供」みたいな立ち方に。
「親指に力を入れて構えてごらん!」
メガネ先輩に言われるまま手刀を作り、右正拳突きの形を作ると、先輩が先程と同じ力で丹田に中段を入れてきました。痛っ!!!
だけど今度は膝から下がびくともしなかったのです。私の後ろで倒れたままの軍団が「え?なんで?」「なんで倒れへんの?」とざわついていました。
この「内八字立ち」、実は空手の立ち方の中でも四股立ちに次ぐ「守備に強い」立ち方なのです。弱々しい形に力を入れない膝は頼りなげです。しかしこの立ち方で満員電車に乗ってみて下さい。どんな揺れでも「つり革要らず」で立っていられます。
ギチギチに膝下を硬直させて大股で直立すれば見た目は「強そう」に見えます。でも「チョン!」と押されれば踏ん張りが効かず簡単に倒れてしまう…私は精神や性格も同様だと思っています。
柔らかい姿勢で柔らかい頭で、物事を多角に捉えて考えるならば、自分や周囲の状況に合わせて意見を変化させることの「必要性」も高まります。こうやってブログを続けてみて解ったことの一つは「変節こそ続ける秘訣である」ということでしょうか。
時間が空いた時に、自分が書いた過去記事を連続で目を通すことがあります。そこにあるのは「緩やかな変節」と「変節に対する言い訳(笑)」でした。
しかし、確認して私は安心しました。その考えは私の「素」そのものだったからです。その時その時で得た情報を素直に受け止めて、そこにその時の素直な反応を「分析風」に書いていくスタイルは、ブログの記述法の定番だと思います。私のそれは変節を加えつつ展開する「自己反証」を繰り返してきました。
正直、きちんとした結論に至れた回は余り多くないと思います。結論を避けた回もあったりします。どのような読後感を感じてもらえているかは解りません。書いてる私には想像もできません。満腹になって満足してもらえているか…想像すると怖くなって書けなくなっちゃうので考えないようにしているフシはあります。
ただその分、自分なりの戦法といいますか…「色」みたいなものは意識しているつもりです。空手の組手試合での私の必勝パターン(というほど勝てませんでしたが)は、「始め!」と同時の飛び蹴りと、守勢に回ってから相手を懐に入れないための「足刀(横蹴り)」。
「足刀」は股関節が固くて回し蹴りが苦手だった私の得意技でしたが、組手に使う選手は少なく、相手からは「やりづらい」と言われることの多い足技でした。
弊ブログの執筆においてもそういった「特色」は大切にしたいと思っています。大した筆力を誇る私ではありませんので、勝負どころは「目付け」や「解釈」だったりすると思います。
拭い去れない「素人感」も今では武器だと思っています。
もちろんネタの「ファクト」は可能な限り調べています。ちょこちょこと腕時計専門店やブティックにも取材(という名の徘徊)へ出向きます。取材に行って予定外の出費を食らうというのも、ありがちなことです(汗)
時計の中身にそれほど詳しいわけではない、ブランドの裏事情や市場価値についてもそれほど知ってるわけではない私ですが、今後も自分が見つけてきた「ファクト」と「ファクト」の間の隙間に、独自のネタを見つけて行きたいと思います。
私にとって弊ブログは、皆さまに支えられながら、私自身も支えられながら続けてきたものです。仕事が忙しければ忙しいほど「あぁ~新しいネタ書きてぇ~」と身悶えてしまうのも、私がこのブログの居心地の良さを感じている証拠だと思います。
似たようなネタが多いし、変節はするし、伸びしろもあるやらないやら微妙なブログですが、宜しければ今後も末永く、腕時計好きの「たわごと」をお楽しみ下さい。敬具。
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