腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

ブログ・腕時計喫茶のオーナー「suna_fu_kin」でございます

男前に描きすぎました(汗) Galaxy note8使用

 

日々のご愛読に深く感謝申し上げます(*´∀`*)

 

「すなふきん」というハンドルは、美大時代によその美大の学祭(ちょいと記憶が曖昧)で見たシロウトのパンクバンドの名前から借りました。ギターもボーカルもペナペナなのに雰囲気と見てくれは最高。それがなぜか忘れられなくて。

 

「すなふきん」はフツーの会社員です。だけどフツーの仕事をしてるのかと聞かれれば、フツーじゃないと答えます。アートに音楽にメチャクチャ濃厚でパンクな20歳代を送った後、ちょうど30歳で今の会社に拾われました。運が良かったのだと思います。真面目に考えたら、あの頃の勘違い野郎だった私が潜り込める会社じゃなかった。

少し身体を壊して弱気になっていた私を拾ってくれたことには、根っこの部分では感謝しています。たびたび「ブラックだー!」とか言っちゃってますけど(笑)

 

フツーで、ちょっとフツーじゃない会社員の私の唯一の趣味が「腕時計集め」。自分のアンテナの赴くままに節操なく集めて集めて…このペースだと令和3年の夏頃には「100本」に届いてしまいそうです。時々、自分が怖くなります。このオッサン、ホンマにアレなんちゃうか?と思います(´・ω・`)

 

ブログは当初、私の個人的なストレス発散法の一つとして始めました。腕時計を買う、愛でるにプラスして、腕時計を語ることで、日々のモヤモヤを解消できないかなぁ~と考えたのです。そうですね…結構、後ろ向きな理由でスタートしたんです。

投稿記事が100を越えた辺りから、今の読者の皆さまと交流できるようになりました。Googleの頭の方に自分の記事が紹介される快感を何度か味わって、ストレス解消以外の目標が設定できるようになってきました。

 

近年、若い人の腕から腕時計が消えて久しいです。もはや「腕時計はオッサンのモノ」なのかもしれません。ですから「腕時計=オッサン」という図式に異論を唱えるつもりもありません。

ただ、今は若い彼らもいずれは年老いて、若い頃の趣味を手放さざるを得ない状況に追い込まれるでしょう。私がそうでした。あれだけ時間を費やしていた「ゲーム」を全く遊ばなく…いや、遊べなくなったのです。

私の中でその理由は明快で、それは「ゲームの造り手が、自分より何世代も若い人たちになった」ことによるセンス、あるいは「感動」の仕組みに対する違和感でした。確かに私も学生の頃、30歳過ぎてもゲームで遊んでいる自分が想像できませんでしたし、解っていたんだと思います。大人になったらもっと年齢に見合った遊びがあるはずだと。

 

そして私は「腕時計蒐集」という素晴らしい世界を知りました。

 

20歳代で高価な時計のコレクションを保有する方もいれば、60歳代で今こそ身に着けたいアンティークの世界にどっぷり浸かっている方もいます。「蒐集」と一口に言っても完成形は人それぞれ。知れば知るほど奥深いその世界に、私が投じる一石があるとするならば、それは「ライフスタイルとしての腕時計との付き合い方」だと思っています。特にアートにこの身を捧げてきた私は、腕時計を「単体の、あるいは群体のアート」として、その美麗さを最大限尊重してきました。そして個々の腕時計が持つ固有の美意識に触れるたび、自分自身の価値観はたびたび変化してきました。

 

私にとって腕時計は影響力の凄まじい「アート」なのです。

 

四季折々に人心がさざめくように、人生の喜怒哀楽の中でそっと寄り添ってくれるパートナーとしての物言わぬ小さな機械「腕時計」。その価値はブランドでも、ましてやリセールバリューでもないはずです。広い世界の中で縁あって巡り合った腕時計たちとの「蜜月」を、今後も私なりの言葉に変えて綴っていければと思います。

そしていつか、若い世代の方々にもその素晴らしさを知ってもらえたなら…

 

 

100年の後も、腕時計が「憧れのアート」の立場を保てていますように(〃∇〃)