腕時計喫茶

「微妙」な時計を愛してる

残念無念の若きクリエーター時代

長い人生にはほんの数度、生き方を根底から変えてしまうような出来事が起きます。それは良い意味でもあり、悪い意味でも。本日は私が時々思い返してぐぬぬ…」と無念のほぞを噛む思い出話をさせて下さい。

 

私がイラストレーターとして、フリーランスを経て事務所を開設し日夜、右往左往していたのは、20歳代半ばの7年程の期間です。まだ若造だったこともあり、「何が成功で何が失敗かも解らない」状態。ただひたすら来る仕事を最速でこなし、来ない仕事も厚かましく営業をかけまくっては片っ端から拾っていました。いわば日々是、回転レシーブ状態(;´∀`)

今思えば、ぶっちゃけ熱さだけが取り柄の、とても節操のないクリエーターだったと思います。

 

自分だけでこなせない程の仕事を抱えてしまった時は、同期の仲間や大学時代の仲間にお願いして片付けていましたが、そういう状態が当たり前になってしまった頃、それなら自分専用のチームを作れば良いと一念発起して、自分名義の事務所を開設しました。

 

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アルバイトとして2名の駆け出しデザイナーを雇いましたが、自分と年齢が同じくらいだったので、主従の関係がうまく築けないというのが最初の問題でした。私の指導力もからっきしでしたし、そもそも指導しようというハラがあったかどうかもかなり怪しい(>_<。)

 

そんな悶々とした日々の中、当時、飛ぶ鳥落とす勢いがあったとある企業から、まとまったお仕事のオファーを頂きました。単独の仕事としては破格のギャラが約束されている上に、最初からシリーズ化が決まっているということで、ギャラの凄さ以上に「今後のポジション」を大きく変えるきっかけになることは明白でした。ビビりました。しかしそれ以上に、若かりし私は燃えていたのです。

 

ところが…結論から言うと、私はその仕事を最終的に「断りました」。めちゃくちゃ有り難いオファーでしたし、「オレにもこんなオファーが来るようになったか!」と嬉しくも思いました。内容的にもやれないことはないレベルの仕事(だと思った)ので、何度か打ち合わせをし、ラフ絵を提出したりしながら、クライアントの要求を形にしていきました。

 

そのお仕事で私が課せられた担当は「主要なメカデザイン」でした。しかし、ぶっちゃけ私はメカが「大の苦手」でした。不思議なことに私の仕事っぷりを知っている幾人かは、私のことを「メカが得意」だと思っていたらしいのですが、それは大きな間違いです。確かに私自身はオーディオを自分で作ったり、パソコンは全部自作していたりで、機械いじりは得意な方でした。しかし「絵を描く」となると話は別です。結局、それまでの仕事でも、誰かが作った形を焼き直して、いろいろ追加して捻り出していたに過ぎなかったので、メカを描いている時はぶっちゃけ「苦痛」しかなかったと思います。

 

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そんな感じでしたから、7、80枚のラフ絵を描いた頃にアイデアが全く出なくなりました。この時はじめて「イメージが何ひとつ湧き上がってこない」という状態を経験しました。それまでは「アイデアが湧いてくる魔法の泉」が自分の中に清らかな水を無尽蔵に湛えていると思っていたので、その時のショックは相当なものでした。仕事が行き詰まった時に気分転換に通っていた深夜の屋台で、とんこつラーメンを煮卵2つ入りで食べても、うんともすんとも頭が働いてくれなかったのです。あれこそが自分の才能だけが資本のクリエーターにとって、真の恐怖といえるものでした。

 

今考えるとメカデザインに関しては「積み重ね」が足りなさすぎただけだと思いますが、その時は「そもそも才能なんてない自分が、一流に交じろうとした天罰が下ったのかも知れない」とまで考えました。それくらい一瞬で、自分がそれまで信じていた「魔法」がかき消えてしまったのです。絵描き生命の終わりかと本気で思ったりもしました。メカだけでなく、他の絵までおかしくなってしまったからです。

 

その状況を一通り自分の中で解釈した後、私はクライアントにお断りの連絡をいれました。途中まで進めた分は自由に使ってくれて構いません。料金は頂きません。ご迷惑をおかけしました…

 

あの「アイデアが尽きた」と感じた現象は、過大な重圧からくる一種のイップスだったのかもしれません。その後はそういった現象に出くわすこともなく、以前と同じように雑誌を中心の仕事に戻りました。結局、遠くに見ていた頃は手頃な夢だと思っていたものが、間近に近づいてみれば、想像を遥かに超える大きさで自分にのしかかってきた…そういうことだったと思います。一番仕事を舐めていたのは、誰でもない自分自身でした。

 

後日、完成して発表されたモノを私は自費で買いました。ギミックの一部に私のアイデアがお情けで残っていましたが、交代した新しいイラストレーターさんが考えたリアリティー満点のメカ群に差し替わっていました。さらに後日、その人と別のお仕事で一緒になった際、あの時は、クライアントに私の残したアイデアを見せられて「これよりは良いものを」と言われて困りましたよ。と伺いました。それはお世辞かもしれないけれど、何という大迷惑をお掛けしたことか…

 

その方の才能と頑張りのおかげで、私は救われました。彼が私のヘタレをカバーするために踏ん張ってくれてなかったら、今現在、私がこうして仕事をしていることもなかったかもしれない訳で。

 

20歳代のあの時期にビッグマウスだけでは通用しないレベルを実感できたことは私の財産になりました。その後の私は幾分謙虚になったと思いますし、「努力してもどうしようもない状況」があることを知りました。

 

しかし時々思うのです。「それでも踏みとどまって、最後まで完遂していたら」…と。

 

もしかしたら、あの苦痛の後に自動書記に近い状態…一種のゾーンに入れたかもしれない…と、都合のいいことを考えてしまうのです。いけたかもしれない、ダメだったかもしれない…多分、ダメだったでしょうが、今でも思い返す度に苦い記憶で胸がいっぱいになります。恐らく一生、この悔しさからは逃げられないでしょう。

 

そういえば、この経験をした直後に私は「ロイヤルオーク」を買っています。高価な買い物をしたときの高揚感とともに、何かしら自分の背中を押してくれるパワーを切望したのかもしれません。自分の身に無頓着で小汚かった私としては、自分の頑張りの結晶として、ちょっとだけ見栄えのするモノを身に着けたかったのだと思います。

腕時計を、世渡り上手になるための「御守り」のように感じて購入し始めたのは、この一件以降だったはずです。

 

 

長く生きていると「あの時、こうしていたら…」と思うことが多々あります。後悔だけで生きるには人生は長すぎて…結局のところ、どこかで挫折と折り合いを付けなければならないのです。もしもあの時の「苦悩」を経験していなかったら…実力にそぐわない順風の中でもみくちゃにされて、私みたいな小物は業界からはじき出されていたかもしれない。今もこうして曲がりなりにも好きな仕事ができているのは、あの時の経験で自分の「身の丈」を知ることができたからなのかもしれません。

 

若い頃の苦労は買ってでも…というのは、世の中で使い古されたイディオムの一つに過ぎませんが、これに関しては「真理の一つではないか?」と心底思います。苦労を重ねた末に手に入れた「自分を測るモノサシ」ほど、一生使えるツールはないからです。

 

そうそう!

本文とはなんの関係もございませんが、現在Amazonさんでセイコーカニカル「sarb033(黒)」「sarb035(白)」の価格が逆転しています。久しぶりに「033(黒)」の方が安くなっています。全体的な価格も今の所安定して安めで推移していますので、気になっている方はご確認下さいね m(_ _)m