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腕時計というゲニウス

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腕時計をし忘れる日が、数ヶ月に一度ですがあったりします。数だけは沢山の時計を所有しているので、例え「365分の1日」だったとしても、腕時計を使用する貴重な機会を失ったような気がして酷く落ち込みます。完動状態にある時計を50本と考えて、それらを平等に万遍なく使ったとすると、1年の間に1本あたり僅か7回ほどしか出番が来ない計算になるわけですから、そりゃあもう落ち込んで当然です。

 

落ち込む理由は他にもあります。腕時計をし忘れると、何となくですが自分の「防御力」が落ちるような気がするのです。

 

もちろん腕時計はライオットシールドではありませんから、投石を防いだりはできませんし、ゲバ棒で殴られたりすれば簡単に壊れてしまうでしょう。物理的な防衛手段の役には立ちません。しかし私にとっては自分の「心」を強くする作用が確かにあるのです。

https://www.instagram.com/p/BwwzL8jn8V9/

プレキシガラスのMax Billだと、ゲバ棒に攻撃されたら粉々になりそうです。

 

単純に気に入ったものを身に着けて「気分が上がる」という面があります。誰に知られるでもなく、自分だけの満足のために存在する「高級下着」的な時計もあれば、VUITTONのバッグのように誰にでも解るステータスを誇る時計もあって、それらは種類の違う幸福感で装着者を包み込みます。その包まれる感覚こそが間違いなく心の防御力を上げます。

 

歴史と叡智を身に着けている、という事実でも気持ちが強くなります。世界有数の才能が苦心して形にした価値観を常に身近に感じることができるという意味では腕時計は最高です。歴史を学べば学ぶほど、一個の「モノ」に過ぎない腕時計に対して、その成り立ちに深い畏敬の念を抱かざるを得ません。

 

しかし腕時計を一番心強く感じるのは、私のために頑張って時を刻んでくれているという事実でしょうか。特に機械式の腕時計はその純粋に物理的なメカニズムがどこか生物的でもあります。それは忙しさに我を忘れるような時でさえ、傍らで二人三脚してくれる頼もしいパートナーのように、「頑張れ!」と鼓舞してくれる存在に思えるのです。

 

私にとって腕時計は「ゲニウス」です。それはラテン語「守護霊」を著す言葉ですが、そんな歯車の詰まった小さな箱に毎日願をかけて、世知辛い世の中を私は生きています。

 

基本から学ぶラテン語

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