上の記事ですが… お読みになられましたか?? 未読でしたら、リンクからサクッと飛んで先に読んでいただければと思います。その方がこの後の話がグッと面白くなるはずですので (*´∀`)σ
実際、アチコチで軽い物議を醸しているようですし、腕時計が好きであればあるほど何やらモヤモヤさせられる内容ではなかったかと思います。とは言え、ありふれた一般社会的な目線で読めばそれほど目くじらを立てるような内容でもないんですよ。一般論の出発点を「腕時計」に置き換えただけの記事です。
ですからテーマを「家」や「クルマ」に置き換えたって普通に成り立つわけでして。正直「何故に(面倒くさくなりがちな)腕時計に言及しちゃったかなぁ~!?」と、そっちの方にツッコミを入れたくなる記事だったりします。
述べられていること自体は極々、常識の範囲でしたし、私にしても概ね同意できる内容でした。一方で腕時計好きの我々が知りたい部分には何らの深堀りもありませんし、正直、これと言った読後感もありません。
しかしながら、腕時計を愛する諸兄の心中を逆なでする内容であることは確か。ってなわけで、当該の記事から幾つかの項目を拝借して「正式なビジネスマナー」とやらに疎いワタクシなりの意見を纏めてみました。まあぶっちゃけ、マナーとやらで括って大上段に構えるから、ムッとされちゃうんですよ (;´Д`A
望まぬ『マナー』とは「意識共有の強要」である
件の記事の中心人物はマナーコンサルタントの「西出ひろ子さん」というお方。テレビドラマのマナー監修をされていたり、何だかすごい権威のある人… っぽいです。ですが返す返すも「腕時計に纏わる諸々」として書いたのがマズかった。通り一遍の「マナー」で型に嵌めれるほど、現代の腕時計は枯れていないからです。
ある文化が「クラシック」にまで昇華するためには、万人の批判に身を晒してひたすら耐える時間が必要です。ところが、腕時計には真正面から批判された歴史がほとんどない。「クオーツショック」で機械式時計の歴史が途絶えかけた… 実際、それくらいではないでしょうか。
近年のスマートウォッチの台頭で多少のゴタゴタはありましたが、存在を根底から揺るがすような事態に幾度も遭遇したわけではありません。要するに腕時計全体としては「とことん廃れた」経験がないのです。
そもそもが「絶対に必要」なものではない腕時計。着けていないと笑われるかと言われたらそうでもなく、高級時計を持っていないからといって、社会人としての神経を疑われることもありません。そもそも売る側、薦めて儲ける側以外から「腕時計は現代人に必須」なんて、そんな暴論は聞いたことがありませんし、腕時計喫茶にしたって、そんな脅迫めいた価値観の押しつけは大嫌いです。
高級腕時計なんて所詮は単なる「酔狂」。だから良いのです。だから自由に楽しめるのです (*´∀`*)
先ほど「文化のクラシック化」についてお話しましたが、そもそも「マナー」なんてものは「すでに広く浸透」したものでなければ何の説得力も拘束力も持ちえません。同じように考える大多数… 幾重にも重なる大きな母数が背後に控えているからこそ、相手はその威力に屈し半ば強引な律法(マナー)にも従うのです。
だってそうでしょ?? マナーを突き付けられたときに敢然と反論する人っていないじゃないですか??「スミマセン… 以後、気を付けます」ですよね?? 要するに「望まぬマナー」とは従わせる相手に抵抗の余地を与えない「意識共有の強要」なんです。しかもそれを「良かれと思って」振るってくるのですから始末が悪い。
弔いの場にド派手な腕時計を着けない… 当たり前です。そんなものを「マナー」とは呼びません。要するに「場の空気を読む」という現代人に必須な基本性能さえあれば、ほとんどの小うるさいマナーをそれこそ「空気」に変えることができるはずです (*´∀`*)
腕時計着用は社会人として「最低限のマナー」なの??
ありえませんよね?? 私がお知り合いになった腕時計コレクターさんは相当数に上りますが、そんなことを言っている人に会ったことがありません。どこの世界の話なんだろう…??
時間を知るだけでしたら、ぶっちゃけ「スマホ」で良いんとちゃいます??「腕時計着用はマナー」と仰るなら、それは「しっかり時間管理しなさい」と言う意味でしょうし(多分ね!!) それならスマートフォンで何の問題もないはずです。
それでも私たち腕時計愛好家が酔狂にも「腕時計」なんて代物を身に着けているのは、それが「腕時計だから」なんですよ。大雑把に括れば手首を飾る機械仕掛けのアクセサリーなわけですから、マナー云々の範疇に入れること自体が素っ頓狂としか言えません。「社会人ならこのバングルを着けなさい」なんて、組織に言われたらどうです?? 怪しげなアッチ方面を疑いますよね?? (;´∀`)
腕時計を着ける「規則」ってなんですか??
「職務中は必ず腕時計をしなさい!!」なんて規則がありそうなのは、そういった商材を扱うお仕事くらいじゃないですかね?? セイコーの中の人が商談の際に「セイコーの時計を着けていない」のはさすがにマズイでしょう。私もその辺のお話なら、中の人に直接聞いたことがあります。
そういう特殊な事情がある方を除いて、腕時計の「着ける着けない」は当人の「美意識の問題」です。それをあたかも大事のように「マナー」という金型に押し込めるなんてナンセンスもいいところ。スーツを着たときに「何だか袖口がしまらないなぁ~」と感じたり、ファッションのバランスを整える役割として腕時計を活用したり… 腕時計好きなら自然と獲得するであろう「美意識」に従って「好きなように」楽しめば良いと思います (*´∀`*)
「ビジネスシーンでの腕時計の選び方」ねぇ…
西出さんは「一般的な年齢や立場相応の腕時計を身に着けるべし」と仰っています。同時に「顧客や上役より高価な時計は避けるべし」とも…
腕時計愛好家が噛みつくとしたらこの部分だと推測しますが、実は私自身も同じような考え方をしています。高級腕時計に振り回されないためにも、各々が立場に応じた腕時計選びをすべきだとは思います。
ただ、ベルトの色のあーだこーだなんて、他人から指図されたくはありません。ダイヤルの色もそうです。派手な色の物は避けた方が良い?? 派手なものをしっくりと着けこなすのが、腕時計趣味の醍醐味じゃないですか?? 腕時計初心者が気後れするようなミスリードは控えて欲しいところです (;´Д`A
例えば厳格なドレスコードがあるシーン… 格式張った式典などでそれなりの気を遣うのは当たり前です。それだって、そう言うシーンに的確な「ドレスウォッチ(高価である必要はなし)が一本」あれば済むだけの話ですし、そんなものはまともに生きてりゃ誰だって身に付く類いの思慮分別です。何度も似たようなことを書いてスミマセンが、こんなものをマナーなんかで大仰に括る必要はありません。
腕時計を使う上で意識すべき「心がけ」は確かに存在するが…
ぶっちゃけ20年も前であれば「年齢的に自分より目上の人」と相対する際に不可欠な「配慮」は山ほどありました。先に生まれた事実だけで偉そうに振る舞う先輩たちに辟易としながらも「これが大人の世界ってヤツだ」と自らを納得させ「作り笑顔」だけが上手になっていく若者たち。さすがに今の年齢になれば「対象を選別して配慮」する技も身に付きましたが、今でも偉い人(と自分を思っている人を含む)から「無礼者!!」と一刀両断にされないように細心の注意を払っています。
件の記事で言及された「目上に対する腕時計のマナー」にしたところで、結局はそう言うことだと思います。腕時計に限った話ではありませんが「こうすれば正解」なんてものはどこにもないのです。そもそも、腕時計に興味のある上司とそうでない上司に対する配慮は別物。ややこしい相手の攻撃的視界に入らないよう目立たぬを装うことは、平穏なサラリーマン生活をおくるためのセオリーですが、そのために必要な「日々の警戒と索敵」を『マナー』とは呼びません。
あくまで一般常識の範囲内で上手に立ち回っておけば、杓子定規な『マナー』なんぞに頼らなくても十分に「平穏無事な腕時計ライフ」を送ることができるはずです (*´∀`*)
結局は「現代マナー」とやらに共通する「マウンティング」が嫌なだけかもしれない
そもそも私は「ビジネスマナー」みたいなものに懐疑的な立場です。そこで「腕時計に関するビジネスマナーとやらがどの程度一般化しているのか見てやろう!!」なんて、ちょっと意地悪な気持ちで「生成AI」さんに質問してみました。すると、件の記事に登場するマナーコンサルタント・西出ひろ子さんの論調と恐ろしいくらいに合致するものが生成されてビックリ!! ベルトの色の話なんて完全に一致。
この事実を以て、西出さんの考え方がサイバースペースにまでも広く一般化しているとは言えませんが、少なくともお金を払って勉強するようなものではないことが解りました。
「マナー」とやらは「失敗しないため」「より好印象を持たれるため」など、自分を原寸より大きく見せたい人が頼るシロモノではないかと私は思います。逆説的に述べれば、自分を大きく見せたい人だからこそ「失敗の可能性が高まる」のです。ちゃんと「原寸大の自分」を持っている人であれば、普通はマナーなんて意識する必要もありません。その場その場で臨機応変に対処すれば済むだけの話です (@_@)
子どもの頃、魚の食べ方で散々親に怒られて育ってきた私ですが、あれは母親からの「きれいに食べた方が気持ちが良いでしょ??」という教えであって、従わなくてはならない「様式美」を強いられたわけではなかったと思っています。そして、似たような事例が数限りなく存在するのが現代社会です。
私だって現代人の端くれ。渋々ながら「マナー本」を読んだことだってあります。その印象としては「答えを教えてくれるわけではないんだ」でした。マナーを守った上で変化する状況もあるはずですが、それに言及して対処法を教えてくれるような「万能の知恵袋」ではありませんでしたね (;´∀`)
過剰な「マナー指南」に価値観の押しつけを感じて辟易としたことのある方も多いでしょう。例えば世の中には過激な和装愛好家集団「着物警察」とやらが存在するそうで、知り合いの奥さんがマナー云々で散々に虐められたとボヤいていました。「決めごと」が増えれば増えるほどそこからはじき出される人が増えますし、マナー強要を「マウンティング」だと感じる方も出てくるのです。この多様性の時代に、そして多様性の権化のような「腕時計」にとって、必要な考え方ではないと思います。
最後に… 腕時計に「軛」なんて似合わない
西出さんが件の記事の中で言及した内容自体は、一般論として捉えても不自然さはありませんでしたし、納得した方も一定数はいらっしゃるでしょう。ただ、それを「マナーという構文」に落とし込んでから発信すると何やら「イヤミ」になるのです (;´Д`A
マナーとは「上流階級のしきたり」を私のような「平民に伝授する」ために単純化された「指南書」です。少々手厳しく例えるなら、本来はそんな必要もない人をその気にさせて「立派になったと勘違いさせる手段」とも言えます。要するに「権威の後付け」です。
腕時計を着用する… ただそれだけのことに「権威」なんて邪魔なだけです。そもそも権威というならば「高級腕時計」自体が「歴史あるブランド」という権威のカタマリですからね。
格式の高い腕時計を身に着ければそれだけで姿勢がピンと良くなりますし、自信が漲るという方もいらっしゃるでしょう。すると自然に「高級腕時計に見合った所作」が身に付きます。どうです?? 腕時計を趣味にしている方にとって「構文化されたビジネスマナー」なんて無意味だと思いませんか??
私は過去、精神的に追い詰められた状態を何度も腕時計趣味に救われた経験があります。四角四面の世の中で絶息しそうな状況であっても、左腕に視線をやればそれだけで救われる存在… それが腕時計なのです。そこにあるのは、投影した自分を奮い立たせる「絶対の美」と「無限の自由」。
そんな腕時計に「軛」をはめる「ビジネスマナー」なんて必要ありません。高級腕時計を購入して楽しむ人はそれなりの覚悟を以て出費しているわけですから、彼ら(私)の最大の権利である「自由」を奪うかの如き提言は、本当に止めて欲しいと切に願います。残念ながら深く考えずに「権威ある意見」をかさにきて批判する人もいますからねぇ (;´Д`)
ご意見・ご感想
コメント一覧 (6件)
砂布巾さん
こんばんわ、黒海月です。
腕時計という存在を、マナーや権威に囚われて、このご時世に受け継ぐ世代もいるのかな。ましてや、正確な時間を確認する手段は、スマホをはじめ他にもある時代に。
腕時計は、それこそもっと自由に楽しみたいものです。yahoo記事にあるマナーに縛られる論調はこれからの腕時計文化にマイナスかもと危惧します。
今や腕時計をしている人の方が少ないかもと思える今日この頃、気軽に軽快に楽しみたいものです。
黒海月さま。コメントありがとうございます♬
そもそも「マナー」とやらがこのダイバーシティーの世の中に合っていない浅慮な考え方ですからね。
趣味性の高い腕時計に当てはめようとしたのがそもそもの間違いだったと思います。
自由に楽しんでいる人に横やりを入れるようなマナーは必要ありません。
個々が状況に応じて心配りを行えば、それで済む話だと思っています。
やっぱりワタクシ「教えてやる」ポジションのコンサルって苦手かもしれません(汗)
購入時はどこでもいつでも使ってやるとは思うもんですが、
いざ手にすると、意外と使用シーンって考えちゃいますよね。
(ダイバーズウォッチやデカ厚系など目立つモノは尚更、、)
今回の記事で取り扱っているマナーや暗黙のルール的なものは
どんどんゆる〜くなってほしいものです。
Y太さま。コメントありがとうございます♬
見初めて購入した腕時計の使用限界を決めるようなマナーは必要ないと思っています。
その場その場で臨機応変に対応すれば済むだけのことですし、そのモノサシは個人個人が持っていればいいだけですからね。
昔は近所のおっちゃん・おばちゃんたちがそういうことを無償で教えてくれましたが、その辺の繋がりが薄くなって出てきた商売が「マナー講師」だと思っています。
取り敢えず、個人の趣味である腕時計には近づかないで欲しいですねぇ (;´Д`)
福祉に係る会社を設立した四半世紀前は、できるだけ地味に目立たない恰好をしていました。その業界でのマナーと思える振る舞いをした方が得だと思ったのです。
今はR社のDDを着けて業界の集まりに出ているので陰では顰蹙をかっているかもしれませんが、一向に構いません。
マナーとは一定のポジションからの価値観の押し付けであり、それに従うかどうかは自己責任の範疇で個々が決めれば良い事ではないでしょうか。
私には残り少ない限られた時間にマナーと考えられるあやふやな基準に縛られるのと、好きな時計を着けて生活する喜びとは比較の対象にもなりません。
ビジネスウオッチを捨ててPPで街に出ましょう。
モトアラカンさま。コメントありがとうございます♬
私は逆でした。20代で事務所を興した際は「なめられないようにハッタリが必要」と考えて高価な時計を着けていました(笑)
今ほど時計に詳しい方も多くありませんでしたし、気付かれることも稀でしたが…
マナーが嫌いなのかマナー講師が嫌いなのか微妙なところですが、一方的に「教えてやる」という態度が苦手です。
大切なのはマナーを暗記することなどではなく、自然な気遣いから適切な立ち振る舞いができるか否かでしょう。
好きな物を自己責任で楽しむ… まさしく!!
他人にとやかく言われる話ではありませんよね。
DD良いじゃないですか!! ガンガン使いましょう!!
私も気後れせず、親父から引き継いだコンビ&10PダイヤのDJを使い倒そうと思います。
PPは… 行っちゃいますか(笑)