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それでも「腕時計」を推し続けたい

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 特別お題「わたしの推し

 明けましておめでとうございます。本年も『腕時計喫茶』を何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 それにしても…ちょっと奥さん!2022年ですってよ!?未だ自動車は地面を走ってますし、義体化された人も見たことがありません。JTBが「宇宙旅行ツアー」を売り出した…なんてニュースもまだですよね?

 そんなわけで、子供の頃の「未来なイメージ」とは随分差のある2022年の現実ですが、強烈な科学的・技術的進歩を望む反面、私の中には「変わらないで欲しい」ものもあります。私の場合、その最たるものが「腕時計」なわけです。

 本年一発目の記事は、はてなブログさんのお題わたしの推しを借りて「腕時計の魅力」について、私なりの見解を書かせて頂きたいと思います。

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腕時計「一強」の時代

 腕時計を文化的にカテゴライズすると、それは「宝飾」の一種であると言えるでしょうか。王族や貴族だけが身に着けることの許される超高級品だった出自から言えば、時計は間違いなく宝石や貴金属と同列に語られるべき存在です。

 極々近年まで、腕時計が販売されている店舗は「宝飾店」でした。これは日本も欧州もさほど変わりなく、今でも古くから存在する商店街の一角に「宝飾と腕時計とメガネ」を扱ったお店があったりしますよね(見つけたら思わず覗いてしまいます)

 一般の消費者に広く腕時計が浸透し始めたのは、1950年代の終わりくらいからではないでしょうか。安定した性能で大量生産の効く機械式ムーブメントが生まれた時代です。多くのブランドから一般層にも手の届く実用時計が次々に発売され、後の高度経済成長を支える企業戦士たちの目標になったのです。もしも親戚のお家でこの時代の時計を発見したら、ご主人が若い頃に頑張って働いていた証かもしれません。「当時のお給料の何ヶ月分くらいでしたか?」なんて聞くのは失礼かもしれませんが、案外と喜んで話してくれるかもしれませんね。

 その後も長く、腕時計は「働く男たちのマストアイテム」としての地位を保ち続けました。機械式がクオーツに凌駕され、その後に華々しく復活を遂げるといった時流のうねりはありましたが、腕時計が担い続けてきた「実用性」「ステータス獲得」の役割は変わらなかったと思います。

 つまり、腕時計は私たちのような「一般庶民」にも完全に浸透したアイテムだったのです。外出時に時刻を知る役割を一手に独占して、尚且、ブランドの威厳を味わうことのできる存在は腕時計だけでしたし、それを脅かす対抗馬は長らく出現しませんでした。懐中時計は辛うじて現役でしたし、任天堂のゲームウォッチ、たまごっちのような「携帯型時計(?)」もありましたが、それらは主流にはなり得ませんでした。時刻を知ることに関しては、腕時計の「完全支配」が続いていたのです。

「最大の敵」現る

 そして近年、ついに腕時計の立場を脅かす「真の敵」が現れました。「スマートフォン」です。

 携帯電話の主流が二つ折りだった頃は、まだまだ腕時計が使われていました。私自身、二つ折りのケータイをパカッとやって時刻を確認するなんてルーティンとは無縁でしたし、多くの人もケータイにそのような役割を求めてはいなかったでしょう。

 ところが、スマートフォンが巷に浸透するにつれ、時刻を確認するという役割に紐付けられていた「腕時計の文化」に大きな亀裂が入りました。スマホで時間を見る人が圧倒的に増えてしまったのです。

 文化の時系列で言えば、それは明らかな「後退」です。ジャケットやパンツのポケットに懐中時計を忍ばせていた時代に逆戻りした印象すらあります。爆発的な進化を促すことが「デジタル・ディスラプション」の本質だと思っていましたが、破壊されつつある「腕時計の常用」という文化の有様を見るにつけ、デジタル・ディスラプションがこういう退化をもたらす場合もあるのだと知りました。

 この『腕時計喫茶』のようなブログを続ける私ですから、腕時計文化の退廃は可能な限り避けたいところです。ただ、商業的に見ると、腕時計産業自体は過去最大級とも言うべき活況を呈しています。何とも不思議です。利益はもの凄く出ているらしいのです。

 相変わらずロレックスは品切れ状態が続いていますし、その他のブランドも多くがこの1月に3~5%の値上げを発表しています。強気なんです。それでも売れる自信があるのでしょう。

 ただ…腕時計を身に着けている人自体はホントに減りました。私が学生の時分には大人のほぼ100%が外出時には腕時計を身に着けていました。近所に買い物に行くくらいなら腕時計なしでも大丈夫でしたが、電車に乗って数駅遠出するなら、腕時計の着用はそもそも常識だったのです。

所作の美しさを味わってほしい

 スマホで時間を確認することと、腕時計で時間を確認することの最大の違いはなんだと思いますか?私は「所作」だと思っています。

 腕時計で時刻を見る所作には明確な「男女の区別」がありました。男性が腕時計を見る所作はダイナミックな動作が基になっており、その際にジャケットやシャツの袖口を撓ませる仕草も絵になるところです。映画やドラマでも重要な場面転換のキッカケとして使われるくらいですからね。

 対して女性が腕時計を見る所作は繊細で軽やか。小ぶりな時計が華奢な手首に巻き付くさまは愛らしいものですし、自然と仕草がたおやかになるのが解ります。近年はオーバーサイズの腕時計が女性のファッションとしても流行っていますが、所作に関して言えば「大きな時計を華奢な腕に巻く意外性」と、そこから発せられる「可愛さ」が注目されているのでしょう。

 これら数多の魅力が、スマホで時間を確認するようになると全て失われるのです。腕時計を見る動作だけで発せられていた男性の「格好良さ」や女性の「可愛らしさ」その全てが消失してしまうのです。スマホで時間を確認するなんて、それはただの「作業」に過ぎません。

 私にしたところで、不覚にも腕時計を身に着けた状態で、スマホの時刻を見てしまったことが何度もあります。こんな腕時計馬鹿の意識にまで侵食してくるとは…スマホの中毒性は恐るべしです。

 スマホのスクリーンを見るだけでは、腕時計に纏わる所作のような美しさは生まれません。この文化的な喪失感…腕時計好きでなくとも、解っていただけるのではないでしょうか?

高級である必要なんてない

 腕時計の真の価値は言うまでもなく「時間の確認ができること」であり、最初期のウエアラブルデバイスとして、それは生活の奥深くに根付いた存在でした。今まさにその立場がスマホによって脅かされているのは前述のとおりです。

 特に若い人に腕時計が敬遠されている理由の一つに「時間を確認するだけの道具に、何十万円も出したくない」という気持ちがあるのは間違いないところでしょう。基本的に時間しか解らない「単機能」ですからね。さらに折角ならそれなりのステイタスを得られるブランド物が欲しいとなれば、数十万円どころか数百万円の出費になる場合さえあります。

 ですが、ちょっと待って欲しいのです。

 もしも、これから何かしら腕時計を買おうと考えている人がいるとします。私のお節介な話を読んで「それなら一本くらい」と思ってくれた方もいらっしゃるかもしれません。その方が何かしらの使命感と覚悟を以って最良の一本を探しているのなら、私からは「ロレックス」「オメガ」そして「グランドセイコー」をお薦めします。それらは大金を出しても後悔しないだけの持続的なバリューを持ち続けているブランドだからです。その価値はこの先も変わらず続いていくでしょう。

 ですが、とりあえずで考えているなら、私は何をおいても「貴方(貴女)に似合う腕時計」を探して下さいと言いたい。

 勘違いされやすい部分ですが、大金を払って高級品を買えば須らく丸く収まるかといえば、そんなことはありません。洋服で考えてみて下さい。どんな高級ブランドの服だって、似合わなければダサさが際立つに過ぎません。

 腕時計だって身に着けるものである以上、必ず「似合う、似合わない」はあります。例えば私の場合ですが、以前「ウブロ」の時計を試した時に「あれ?なんか変なんちゃう?」と言い知れぬ違和感を覚えました。当然、欲しいと思ってブティックまで行ったわけですが、そんな前向きな心理状態のど真ん中にあっても、似合わないものは似合わないと解ったのです。

 この感覚はある程度の経験(私の場合100本超の所有歴)があって、初めて身に付くものかもしれません。ほとんどの人はお目当ての腕時計を目の前にして、冷静に自分を見つめることはできないかもしれません。

 そんなときはまず、ブティックのスタッフの方の意見に耳を傾けて下さい。「似合いますか?」と聞かれて「全く似合いません」と返してくる店員さんはいないでしょうが、正直な意見と、それを押し殺した「嘘」では言葉のトーンが違います。デパートなどの総合ブースであっても、店員さんは商品に誇りを持っていらっしゃいますから、明らかに似合わない人には「売りたくない」という感情が漏れます。それを見逃さないようにしてください。

 また、手首にお試しで巻いた腕時計を上から見るだけでは「何の情報も得られていない」ことを覚えておいて下さい。必ずミラーを出してもらい、そこに腕時計と自分を写して下さい。それが他人から見た印象に近いはずです。

 これらを繰り返すと、意外な時計が自分に似合うと解るでしょう。それこそが「出会い」であり、今の貴方(貴女)が買うべき腕時計です。そこには価格がどうの、ブランドがどうのといった些末な条件は関係ありません。「似合っていれば正義」だと解れば、腕時計選びがもっと楽しくなりますよ(*´∀`*)

 私自身は断固として認めたくありませんが、もはや腕時計は一部のマニアによる愉しみへと落ちぶれてしまったのかもしれません。希望小売価格の高騰は止まりませんし、それは中古市場にも影響を及ぼし、私のような庶民が続けるには些か困難な趣味になってしまいました。以前何かの雑誌で読みましたが、数千万円もする超高級腕時計の世界では、そういった腕時計で時間を知ろうとすること自体が「野暮」だと言われているそうです。時計で時間を見ちゃダメって…お金持ちの考えることは謎ですね(;´Д`)

 時刻を知るためでもないのに無駄な複雑機構を埋め込み、目玉が飛び出るような高付加価値を価格に上載せた超高級腕時計のような存在があっても一向に構いません。ですが、腕時計には「最低限」腕時計であり続けて欲しい。本来の使命を忘れず、市井の人々とともに時間を共有する道具であって欲しい。そのためにはこれまで腕時計に必要性を感じていなかった若い方々に、腕時計を身に帯びる愉しみと、腕時計の「文化的な奥深さ」を味わってもらわなければならない…弊ブログ『腕時計喫茶』に意味があるとすれば、まさにその「推しの一助」としての部分にあると考えています。

 本年も玉石混交、価値があるやらないやらの記事を書いていきたいと思います。腕時計が大好きだけど、近くに同好の士がいないとお嘆きの貴兄よ…弊ブログが僅かでも慰めになれるよう頑張りますので、お見捨てなきよう(;´∀`)

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ご意見・ご感想

コメント一覧 (1件)

  • 砂布巾さん
    こんにちわ、黒海月です。
    私の2022年は購入4本!時計趣味の転換点となる年でした。先日、嫁はんがGSの購入を迷ってたようなので、力強く背中を押してあげました(笑)
    てなわけで、今年最後は自分のキングセイコーではなく、嫁はんのGSがラストピースとなりましたとさ。
    いやー、レディースとはいえGSは作りが素晴らしいですね。ダイヤル、インデックス、エッジがたったケース、ブレスレット、どこを見ても惚れますねー。自分が欲しくなる( ・∇・)
    キングも負けてませんが、いつかは自分にもGSを、と心に誓いました。
    さてさて、来年は金をかけずに時計を楽しんで行きたい!をテーマに過ごしていきます。もう、時計貧乏なので・・・(笑)
    砂布巾さんの2022年振り返りの記事のリリース楽しみにしてます!

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