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今なら解る「ETA問題」

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ここ数年で起きた「機械式腕時計の高騰」の原因は何か?と聞かれたら、まずはステンレススチールなどの原材料が5%ほど値上がったこと。次に「コロナ禍」がもたらした世界的な不景気による販売数落ち込みでしょうか。損した分を単価に上乗せしてカバーしなければならなかったことは、私でも容易に想像できます。全体的な売上だけを見れば「堅調」に見える腕時計業界ですが、内実はそんなに楽観できるものではなさそうです(;´∀`)

中には私たちエンドユーザーにとって「有難いような有り難くないような理由」による値上げもあります。それは中堅クラスのエタブリスールがこぞって「マニファクチュール化」し始めたことで、「自社開発のムーブメント搭載ですぜ!」という付加価値が乗っかってしまうことによるものです。

自社製ムーブメント搭載の腕時計が、汎用品の「エボーシュ」を搭載するものより割高になるのは至極当たり前です。その値上げは正当であり、自由な設計が可能にするオリジナリティーに期待する腕時計愛好家は沢山います。私自身は腕時計の「中身」にそれほど拘らずに来ましたが、マニアにしか解らないロマンがあるのは確かです。

ムーブメントの自社開発を目指すこと自体は、メゾンが内製率を高めようとするならば、自然と湧いてくる大目標でしょう。一から設計して長い時間をかけてそれを達成するメゾンもあれば、手っ取り早くムーブメントのサプライヤーを買収して開発の手間をショートカットするメゾンもあります。買収も企業の成長の一手段に過ぎませんから、「それってズルいんちゃうの?」と感じたとしても、外野の私たちは見守るしかありません。要は出自さえハッキリしていれば構わないのです。

どこもかしこも「自社製ムーブメント」

問題はエボーシュ品搭載でも十分に商品価値のある腕時計を売りにしていた「良心的なブランド・メーカー」までもが、かなり無理をしてマニファクチュールを目指すようになった…或いは目指さざるを得なくなったことにあります。私はこの傾向が、いずれは本場スイスの腕時計業界を、むしろ「単調」にするのではないかと危惧しています。

オリジナルムーブメントの開発は、資本力に乏しいメゾンには至難の業です。開発中も製品は作らなくてはなりませんが、開発に成功しなければ、費やしてきた莫大な開発コストはいつまでたっても回収できません。そもそも、自社開発したからといって、それが「エボーシュ品より優秀になるとは限らない」のです。

エボーシュを使っていれば無縁だった様々な苦悩も、マニファクチュールになれば、いずれは抱え込むことになります。精度が悪ければ「やっぱりあそこのエボーシュはダメだな」と言われるだけで済んでいたものが、全てひっくるめて自分たちの責任になるのです(;´Д`)

そしてムーブメント開発は資本を食います。「資金、人、設備、膨大な時間」。中堅のエタブリスールにとって、本来それはユーザーに訴求するための製品開発に使われるべき資本なのです。自社製ムーブメント開発に心血を注ぐあまり、幅広くユーザーに訴えるゆとりを失ってしまったとしたら…数年ごとにスマッシュヒットを出すことすら難しくなってしまうのではないか。定番品で息の長い商売ができるわけではない中堅以下のメゾンにとって、それは文字通り死活問題なのです。

資本の使い方で言うなら、有名ブランドのそれと微妙な知名度のブランドのそれが、同じで良いワケはないのです。資本の少ないメゾンは消費者の嗜好の機微を捉えた商品開発にお金を使うべきでしょうし、そういった小さなメゾンがモゾモゾ頑張ってくれるからこそ、腕時計業界に多様性が生まれるのです。

そもそも、みんながみんな「エースで4番」になれるワケではありません。脚の速い選手、バントの上手い選手がいて、チームは機能するはずなのです。近年の「総マニファクチュール化現象」に関して言えば、全員がホームランか奪三振を狙っているように私には見えます。あまり面白い流れには思えません。

例えば、パネライのように技術力と資本力のバランスがとれたメーカーですら、開発初期の自社製ムーブメントには信頼性の問題がありました。しかし、パネライほどになれば「転んでもタダでは起きない」強かさがあります。3針が主力で開発の難易度が低いという面はありますが、リファインを重ねて洗練されたパネライ製のムーブメントは現在、見た目に美しく、精度では遥かにエボーシュを凌駕しています。

ETA「2010年」「2020年」問題の行方

製品群の高騰を覚悟してでも、エボーシュから脱却しなければならなくなったのは、ご存知「ETAムーブメントの供給停止問題(以下、ETA問題)がきっかけでしょう。もしも私が、ETAのエボーシュに頼り切って生きてきた小さなエタブリスールの経営者だったら、ETAの無慈悲な宣言に倒産すら覚悟したはずです。ETAから基幹のムーブメントが供給されなくなれば、単純に時計が作れなくなるワケですから。

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この供給停止宣言を耳にして多くの人が「ETA(っていうかスウォッチグループ)のなんて意地悪なこと!」と憤ったのではないでしょうか?( ー`дー´)

特に私の場合は、各ブランドのハイエンドモデルに手の届かない身の上もあって、エボーシュ、それもETA搭載品には散々お世話になってきたのです。いまとなっては特段優れたムーブメントとは言えなくても、その安定性、メンテナンス性の高さからくる「安心感」にこの身を預けてきた男にとって、ETAの供給停止宣言はぶっちゃけ「裏切り」に思えるほどでした。

中小メゾンにとっては、感情論より先に現実的な回避策を探す必要がありました。これは現時点でもあまり変化が起きている印象はありませんが、供給停止宣言直後に回避策として一躍脚光を浴びたのが、ETAのジェネリック品を作っていた「SELLITA(セリタ)でした。

私なんかも「セリタがあるし別にええやん!」と一旦は開き直ったクチでした。ところが話はそんなに単純なものではなかったのです。

セリタが繰り出した3針ムーブメント「SW200」はある意味衝撃的でした。登場当初、メディアの評価は最悪の極み。姿勢誤差の大きさで物議を醸しましたが、何より巻き上げ効率の悪さは致命的と言われました(ミヨタのほうが100倍マシとレビューに書かれることもありましたっけ)

可哀想だったのは、セリタを救世主と崇め飛びついた数多のエタブリスール。酷いムーブメントを搭載した製品の評価が高かろう訳もなく、業界や消費者に「セリタ搭載は地雷」というイメージを植え付けるには十分でした。

とはいえ、自社でムーブメントを開発できないメゾンにとってセリタが救世主なのは間違いありませんでした。何せ他にこれといった選択肢もなかった時代です。コレしか縋るものはないと腹を括って「ならばセリタに投資して開発力を底上げしよう!」という企業も現れました。実際にセリタのムーブメントは大きく品質を改善。件のSW200も安定した性能を叩き出すようになりましたし、同様の問題をはらんでいた上位の「SW300」はそこそこの高級機にも搭載されるほど高い評価を獲得し、2針のベースエボーシュとしてスタンダードと言われるまでになりました。めでたし、めでたし…なのかな?(;´∀`)

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    Maurice Lacroix ML 115(Sellita SW200-1ベース)

あれは「意地悪」だったのか?

さて、世界中のブランドにムーブメントを供給し続け名声を得ていたETAが「スウォッチグループ外へのムーブメント供給停止」という大鉈を振るうべく決断したのは何故なのか。今更ですがその基本情報を抑えておきましょう。

「2006年限りで自社製エボーシュのスウォッチ・グループ外への供給を終了する」と発表したのが2002年。これにより近い将来には時計メーカーの多くが製造を続けられなくなるという危機的状況に陥りました。

スイスの公的機関による仲裁で少しの期間の猶予が設けられ、結果としてスウォッチグループ外へのエボーシュの供給停止は2010年から行われることに(2010年問題)。しかしその後も多数のメゾンから不満の声が湧き上がり、紆余曲折の末、2020年までは何とか供給されることになりました(2020年問題)。あれ?結局現在はどうなってるんだっけ?

どうやら予定通りエボーシュ供給は停止されているようです。現在は在庫をジワジワと食い潰しつつ、セリタなどのETAジェネリックムーブメントに絶賛移行中っていう感じらしいですね。デュボア・デプラなどのモジュール屋さんも追従していますから、当面はそんな感じで乗り切れるんじゃないでしょうか。

今にして思えば、供給停止を宣言するに至ったETAの葛藤には、理解できる部分がかなりありました。スウォッチグループ会長「ニコラス・G・ハイエック氏」「エボーシュ舐めとったらしばくぞ!」みたいな一見感情的に見える表現も、ETAの身になって考えてみれば十分に同意できる話でした。

このETA(ハイエック氏)の主張ですが「大阪の中小企業の社長さん風」に噛み砕くと、不思議と解りやすくなります。

 「ワシら腕時計メーカーさんのこと思うて、18世紀からエボーシュ作ってきたんや…できるだけ安くエエもん作ってなぁ…良かれと思うて納品してきたんやで…それを…それを何や?ワケのわからん理屈で時計の単価だけ上げて!悪どい利益出して!!ほんでアンタら!ワシらのエボーシュのことは買い叩きよってに!!せやけど一番気ぃ悪いんは、ワシらのエボーシュそのまんまやのに…何やねん!自分とこのムーブメントですぅ~言うて、訳わからん名前つけくさってからに!!!エボーシュ舐めとるんやったら、自分らでイチから作ってみいや!!!あぁもうホンマ腹立つわ!久美ちゃん!お茶!」

関西弁に翻訳するだけで、やたらと身近な話題風に(笑)

日本は昔っからこんな感じですが、スイスでもETAのように大切な時計の心臓部を作るメーカーでさえ、まるで下請けのような扱いを受けてきたのです。

ETAにとって一番面白くなかったのは、ETAの搭載が恥ずかしいことかのように表向き異なるキャリバーネームを付けてごまかしたり、ETA搭載自体を秘匿する腕時計メーカーが少なくなかったことだと思います。こんな扱いを長年受け続けたら…ハイエック氏じゃなくても、どこかの段階でブチ切れたくなるのは当然です( ・`д・´)

「誰のおかげで腕時計作れると思とるんや!」約20年間も引っ張った「ETA問題」は、腕時計業界の中の「主従関係の構造」に一石を投じたと思います。「買えて当たり前」から「有り難い存在」に変化したエボーシュ。デュボア・デプラみたいなメーカーも含めて日陰の存在だったエボーシュに脚光が浴びせられるようになったのは、間違いなく「ETA問題」でゴタゴタした年月のお陰だと思います。

エボーシュのポジションを変えた

近年、セリタが各メーカーの注文に合わせてカスタマイズしたエボーシュを提供しているのを見ると、「あのセリタがなぁ」と隔世の感すらあります。時代は変わりました。それもこれも、ETAがゴネたから起きた「変化」です。自力で心臓部を作れるだけの技術を獲得しようと多くのメーカーが一歩踏み出すことになったのも、「ETAジェネリック」という新しい存在価値が生まれたのも…全てはハイエック氏の「意地悪」から起きたことです。少なくともエボーシュに対する腕時計メーカーの対応は、本来あるべき「尊敬の念」をこめたものに変わってきています。

先述の通り、中堅どころがマニファクチュール化して腕時計の単価が高騰したら…買えるものが無くなって私としては正直困るのですが…もしもハイエック氏が「狙って」この「価値観の撹拌」を促したのだとしたら…心底、腕時計業界の未来を心配してのことだったかもしれないなぁ~と思う次第です。昔、近影で見たイメージと「ETA問題」を重ねて「腕時計を何本も腕に巻いた底意地の悪いオッサン」とか思っててゴメンナサイ。今はマジで尊敬しています。

 ※ニコラス・G・ハイエック氏は2010年6月28日、82歳でお亡くなりになっています。セイコー・ショック後にスイスの時計産業を立て直した功績は永久に色褪せません。正に「救世主」、正に「時計界の巨人」でした。

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