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山田五郎さんの新著「機械式時計大全」を読みました

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腕時計の歴史はそのまま「基準を確立する」ための戦いでした。それは単に時間や距離を計測するのみならず、時計の黎明期に生きた人々の「生活様式」に新時代のスタンダードをもたらす一大事業だったのです。

機械式時計が王族や貴族に所有を限られた「超絶高級品」だった時代、多くの腕時計職人や研究者が自らの地位と名誉を高めるために「もっと良いものを!」としのぎをけずった結果が、現代の腕時計社会にそのまま繋がっているワケです。機械式腕時計が持つある種の「有難味」には、自らの栄達という野心に支えられた部分が大きいとはいえ、彼ら職人たちにより濯がれた心血の存在があるのは、言うまでもありません。

先日、発売を心待ちにしていた山田五郎さんの新著「機械式時計大全」を手に入れました。実は私…「ナニナニ大全」みたいな腕時計に関する本をすでに何冊か所有しています。そのほとんどが内容の半分以上を現在購入可能な腕時計の情報で嵩まししたもの。つまり、それはほぼ「カタログ」であり、分厚さに比して読む箇所が著しく少ないのです。そんなこともあって、私の中では「大全ってなぁ…」と些か斜に構えた気持ちと「あの山田五郎先生が!」という最大限の期待をない交ぜにしてこの本の発売を待っていました。

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っと、まずは「山田五郎さん」についてご存じない方もいらっしゃるでしょうから、簡潔にご紹介したいと思います。私の心の中には、若い頃に浅からぬ影響を受けた存在として、3人の「文化人(という括りが余り好きではありませんが…)がいらっしゃいました。サブカル分野で「みうらじゅん先生」、音楽では「ピーター・バラカン先生」、そして「山田五郎先生」もその御一人(何かしら教えを乞うた人は先生と呼びたい派です)。

この山田先生(しつこいからさん付けに戻しましょう)…山田五郎さんですが…実に恐ろしい英智の持ち主です。山田五郎さんは1958年生まれで元講談社編集者、タレント、コラムニスト。男性情報誌「ホットドッグ・プレス」の元編集長としても知られ、美術や時計への造詣が特に深く、美術やポップカルチャーに関する著書も数多く書かれています。最近ではYou Tubeの「山田五郎 オトナの教養講座」がめちゃくちゃ面白いのでオススメです。

とにかく幅広く、そして深い知識をお持ちで「ミスター博覧強記」な山田五郎さんですが、膨大な知識に振り回されることなく、飽くまでも軽やかに様々なシーンで発信されています。それらは私のような凡人にも優しく解りやすく、クスッとさせてくれることもありながら最終的には「なんだか賢くなった!」と思わせてくれるものばかりです。

現代に生きる「知の巨人」の一人であり、私は長い間「エスプリの効いた賢いアニキ」として、その存在を信奉してきました。そんなアニキが満を持して出した「機械式時計大全」です。私としては読まずに死ねるか!!って感じで待ってました。

私も仕事で編集の片隅に身を置く人間ですが、まず、これだけの専門用語をふんだんに使いながら、しっかり読み物としてプロットされていることに驚きました。恐らく字面を一読した段階だと多くの人が「読み進めるのが嫌になる」のではないでしょうか。ところがほんの少し我慢して理解する努力をすると…これが楽しい。それこそ、読めば読むほど賢くなる感じがするのです。

この本の巧みさの一つには「参考」「引用」との絶妙な距離感があると思います。実際、参考文献を探す主目的はほとんどの場合「ファクトチェック」…つまり「お墨付き」が欲しいときに、何やらそれっぽい文献から引用することで権威付け&責任転嫁をするワケです。ところが、あまりにも参考文献を盲信する余り元ネタと同じ落とし穴に陥ったり、記述表現の自由度を掣肘されたり…ぶっちゃけコピペみたいになっちゃうこともあったりします(;´Д`)

例えば、腕時計の本の中に特定のブランドの出自に関する記述を見つけたとします。そこそこ知られたブランドなら、複数の本の中に同様の記述を見つけられるでしょう。試しに、私の手持ちの本から似たようなものを選び、最近「テラスコープ、買っちゃおうかな…」と気になっている「ダニエル・ジャンリシャール」についての記述を探して読んでみました。すると(出版社の名誉のために本の名前は伏せますが)「これは…コピペか?」というくらいそれぞれの記述が似ていたのです。「てにをは」を変えた程度では文章の印象は安々と変わりません。それにしても似ている…

誤解を恐れずに私見を述べるなら、知りたいことが十分に記されていれば、コピペ調の文章であっても別にいいかなぁ~と思っています。けれど、そもそもジャンリシャールのようなミドルクラスのブランドについては情報が枯渇気味。同じような出典元からコピーが繰り返されるだけでは、末端の情報は膨らみようがありません。そんな本を読んだところで、読者の興味も広がりようがありません(;´∀`)

ちなみにジャンリシャールについては、私なりにいろいろ調べてみました。オフィシャルのページも参考になりましたし、ヨーロッパの腕時計アナリストが書いたレポートにも、マニアックな情報が幾つか見つかりました。私ごときでも、多少は膨らみのある記述のための調べは可能なのです。

山田五郎さんの「機械式時計大全」では、他書と似たような記述はあっても、そこに必ず山田さんご自身の考え方が透けて見えます。「データ」には必ず対となる「分析」があって、そこに歴史の教科書では学ぶことのできない「ディープな逸話」も加味。それでいて読者の判断に委ねる「隙」もあったりして、こういう本にありがちな「教えて進ぜよう!」みたいな圧がないのです。これは山田五郎さんの人となりなのかもしれませんね。

読めば読むほどに凄まじいまでの満足感が湧いてくる御本。知識欲を満たすとはこういうことかもしれません(*´∀`*)

私が雑誌の世界で食べていた若い頃、世はまさしく「雑誌の全盛期」でした。ゆえに作る側の気合もノリまくっていましたし、多くの異能が業界に集まってきました。今とは比較にならない数の読者を抱えて、それだけの厳しい視線にも晒されていたと思います。その分、記者も編集も皆が毎月、命がけで雑誌を発行していたのです。

時代が変わって仕方がないことですが、現在の雑誌が売れない現状には、何やら冷めた業界の雰囲気と「内容の陳腐化」も一因としてあると思います。先に述べた腕時計の「ナニナニ大全」にしても、ほとんど競争の起きない関連書の世界では読者からのフィードバックも少なく、モチベーションの維持が困難なのは明白。その結果「低レベルな横並び現象」が起きたのでしょう。「これならネットで調べたほうがマシ」と読者に思われたとしたら…きっと次はありません( ;∀;)

確かに昔に比べ働き方も大きく様変わりしましたし、昔の出版社のように締め切り前には女子社員であっても徹夜で頑張らせる…なんて、今やらせたら大問題でしょう。やれやれ…雑誌作りには向かない時代です。

山田五郎さんの「機械式時計大全」を読んで私が最初に感じたのは「全盛期の雑誌」が須らく持っていた「熱っぽさ」でした。例えば山田さんが編集長だったホットドッグ・プレスも、情報誌としては「玉石混交」な作りで、鵜呑みにしたら痛い目にあうところもありました。しかし、その「情報の都市伝説感」すら逆手に取ってグイグイ読ませる仕掛けに関していえば、強烈に面白い雑誌だったと思います。
「機械式時計大全」にはこの「読ませる仕掛け」がアチコチに仕込まれています。腕時計の事しか書かれていないはずなのに、読み出すと止まらなくなる重厚なストーリー性があるのです。もうこれだけで他の「大全」とは全然違います。

「大全」「全て」と銘打った本をいろいろ買ってきましたが、その内容はというと…残念ながら名前負けしたものがほとんどでした。この一冊を読めば腕時計については概ね抑えたことになる…本来「大全」などと銘打ち、大上段に構えるからにはそうでなければいけないはずです。

山田五郎さんの新著「機械式時計大全」は、私の知る限り「大全オブ大全」と呼ぶに相応しく、腕時計好きが待ちに待った「真打ちの登場」だと思いました。特にムーブメントの機構に関して、これほど解りやすく楽しく解説されたものを私は知りません。

腕時計を愛する人たちをさらに深い腕時計愛で包んでくれる御本、「機械式時計大全」は、ヨーロッパの歴史に精通し、超一流の編集者でもある山田五郎さんが「腕時計好きでもあった」という、一種の奇跡によって生み出された作品です。豊かな知識に裏打ちされ、プロの筆致で滑らかに紡がれたエピソードの数々に身を委ねれば、今後の腕時計人生がより一層、豊かになるかもしれませんよ(*´∀`*)

ネタバレにならないように注意して書きましたが、私自身、今は最強の魔導書を手に入れた魔法使いの気分です。今後「機械式時計大全」を参考にして「腕時計喫茶」の更新も充実していければと思います。反論したい記述も見つけましたしね!(笑)

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ご意見・ご感想

コメント一覧 (2件)

  • 砂布巾さん
    こんにちは、黒海月です。
    山田五郎さんの「機械式時計大全」をようやく買いました。まだ、読んではいないのですが、今年は時計を愛でながら使うこと、そして時計に対する理解を深めたいとの想いに駆られ、腕時計喫茶にてお薦めされていたこの機械式時計大全の購入にいたりました。
    これから少しずつ読み進めたいと思います。結構なボリュームで楽しみです。

  • 黒海月さま。
    五郎さんの腕時計愛はつとに有名でしたが、その集大成がこの御書です。記事にも書かせていただいた通り「大全」を名乗るにふさわしい内容で、しかも解りやすい!!
    私はすでに10回は読み返しました。
    弊ブログの執筆時にどうしても抑えておきたいファクト確認させてもらうなど、事あるごとに頼りにさせてもらっています。
    私の「腕時計バイブル」ですね!!(*´∀`*)

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