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中古の時計は「汚い」のかって話

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大阪で働いていた頃の思い出話をひとつ。

部下の女性社員が栄転(?)で東京本社に引き抜かれたのは2019年の12月のことでした。快活で地頭が良くて(実際高学歴女子でした)とても物覚えの早い人だったので、私は事あるごとに彼女を頼よりました。どんな仕事で指名しても弱音を吐かずに「任せてください!」ってなもんでしたから、ホントに有り難い存在だったのです。

実際、どこの部署でも女性の活躍が目覚ましいうちの会社。元来、男仕事だということもあって女性の存在に脚光が当たりやすいのは確かですが、彼女たちの方が野郎どもより「デキる」のは間違いないと思います(;´∀`)

そういえば、その彼女が転勤の直前に「引っ越しの際の心配」をあれこれと漏らしてきました。東西で引っ越し経験の多い私は、老婆心ながら何やかんやとアドバイスをしたのです。「東京でもこのエリアは家賃が安い」「この路線はメチャクチャ混むから注意!」などなど。

それらほとんどを真摯に聞いてくれた彼女でしたが、たった一つ「それはあり得ません!」と拒絶されたものがあります。「家電はレンタルにすれば?」という提案がそれです。

一般的な単身者用の家電を4点セットで購入すると、大体6万円近くかかることになります。例えば2年の期間それらを使ったとして、その後大型ごみとして処分する…下手した場合、さらに数万円が必要になる計算です。

これを中古家電のレンタルサービスで我慢すれば、2年契約で6万円台前半。僅かですが、余計なお金を払わずに済むのです。故障した場合には交換サービスもあります。

私の話を黙って聞いていた彼女ですが、僅かに苦笑いを浮かべた後言いました。「それって中古ですよね?中古の洗濯機とか冷蔵庫とか、あり得ません!」とのことでした。理由は「だって汚いじゃないですか!」。そ…そうか?

業者がちゃんとキレイにしてあるから大丈夫じゃない?と諭してはみたものの、生理的嫌悪感に属するその感情は一種の反射です。きっと頭で納得してどうこうという類の問題ではないのでしょう。

そんなやり取りを思い出して考えました。果たして腕時計の場合はどうなのかと。もしかしたら、中古の腕時計って「汚い」ものなのかなぁ?

私もこれまで、何本かの中古時計を購入しました。中古の時計を買い求める理由の一つに「買いそびれ案件の回収」があります。あの時欲しかった一本がしばしの時間を経て安く手に入る…腕時計の、特に機械式のテクノロジーは数十年前に熟成しきっていますから、10年くらいのタイムラグなどは、何のこともあらんなのです。

デザインに関して言えば、「好き嫌い」の類は当然あるにしても、その「新旧」の区別はかなりの部分で曖昧です。優れた時計ほど発売された当時の輝き…価値を長く保ちます。近年に発売された復刻版などを見ると、むしろオリジナル版の熱っぽさと勢いが如実に感じられて「あぁ、この時代にオンタイムでこの時計が欲しかった!」と思わずにはいられません。

2本のスピードマスターの中古を、ほぼ同じタイミングでオークションから落札したお話は、以前に弊ブログでも書かせていただきました。その際にも状態に関する細かな情報開示はありましたが、その辺のことはもちろん「話半分」…全部を信用したわけではありませんでした。そもそも、中古を買うという行為にはそういったギャンブル性が付きまといます。

使用に伴う傷やスレは当然ありました。かなりの外的ダメージがあったと思います。そして、汚れていました。以前のオーナーさんのイロイロがうっすら…いや、ビッシリこびり付いている部分もありました。遺伝情報とか取り放題なんじゃないかってくらいに(;´∀`)オークションだからっていうのもあるでしょうが、ショップで買う中古に関しても、残念ながらいい加減なクリーニング状態で店頭に並ぶ個体が少なくありません。

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中古の腕時計に抵抗のない人でも、手垢で薄汚れた個体はできれば敬遠したいものです。対して、ケースのスレや傷なんかは案外気にならなかったり。「いい感じで付いた傷」なんかはむしろ個体の魅力となって、その腕時計のパーソナリティーを際立たせます。傷にも「画になる傷」「凡庸な傷」があるのです。

私は拙いながらも、それなりの手はずでスレや傷を消し去る「仕上げ」を行うことがあります。時間をかければかなり細かいパーツでも、新品時の輝きまで持っていくことが可能です。しかし、「あぁ、これは残したい」と感じる傷があります。完全に主観的な判断ですが、許せるどころか、すでに「トータルデザインの一部」にまで昇華した傷だってあります。そういった傷を消し去ることは、その個体が獲得した歴史そのものを消し去る行為に思えるのです。

そういえば、二十歳代前半の頃までの私は古着が大好きでした。ズタボロのくせに物によっては新品よりはるかに高価なジーンズやTシャツ、レザーのライダースなどを買い漁っては日々のコーディネートに取り込んでいました。そのほとんどがオーバーサイズだったりして…今考えると、かなりルーズで怪しげな身なりをしていたと思います。顔見知りのお年寄りにも度々注意されました「あんたそれ、だらしない!」と(;´Д`)

それが26歳を過ぎたころでしょうか…「だらしない」どころか、「みすぼらしい」と思うようになったのは。30歳という「老いへの扉」が目前に迫った時、それまでのセンスが「所詮は若さに頼ったもの」だということに気付いたのです。

若いということは自分自身が「輝いている」状態です。ジャキジャキに穴の空いたジーンズを履いていようが、プリントもハゲハゲのTシャツを着ていようが、自分の若さの方が勝っている状態なら、黙っていてもサマになるのです。

ところが若さが衰えが見え始めると「魔法が解けるように」尖ったお洒落アイテムだった古着たちが、ただの汚らしい中古品に思えてきました。服がどうこうではなく、自分が古着のパートナーとしてそぐわなくなってしまったのでしょう。

以来、安くても新品でジャストサイズの服を買い続けています。流行の移り変わりがあっても…例えば最近はオーバーサイズが持て囃されていますが、その辺は変わらずです。「お洒落だね!」って褒められるよりも、断然「清潔感がありますね!」と言われたいのです。

打って変わって腕時計の話になると「真逆のヒストリー」を歩んできたような気がします。若い頃は腕時計の雑誌を読んでは、新発売に飛び付くような買い方をしていました。そうそう高い買い物はできませんでしたが、コレ!と思ったモノはほとんど我慢できずに購入していました。もちろん全て新品です。

若い頃に特有の時間の流れ方のせいなのか、新品を買っても半年も経たずに自分の感覚の中で「旧機種」になってしまうのです。そんな時にさらなる新製品を雑誌で見つけると…もうダメ。この頃はことあるごとに「また時計替えたの?」って揶揄される私でした(;´Д`)

なぜ時計に限っては新品ばかりを買っていたのでしょうか?古着趣味で中古には充分な耐性があったはずなのに。

ハッキリと自覚があった訳ではありませんが、腕時計の場合はとにかく誰よりも早く、お目当てを身に着けたかったのだと思います。

そんな私もいい歳のオッサンに成り果てて、若い頃とは事情が変わりました。今風のデザインはしょうがないにしても、ピカピカの新品時計が似合わなくなってしまったのです。

この現象を一言で言い表すなら「枯れ枝に大輪の花が咲いている」ような違和感…とでも申しましょうか。

今の枯れ枝のような私には、同じように年を重ねた枯れた時計がよく似合うはずです。決して垢まみれの汚れた時計ではありません。そのような汚いだけの時計は「無惨に朽ちた」だけのシロモノです。

対して「枯れる」とは、長い時間を代償にしてようやく到達した一種の境地です。昔の女優さんを見れば如実に解ります。歳は本来「重ねるもの」なのです。重ねた歳月は人や物を風雅に様変わりさせますが、ただ経過しただけの時間に、そんな魔法はありません。

「枯れる」「朽ちる」の違いを知れば、中古やアンティークの世界がもっと豊かに楽しめるはず…重ねた歳月に価値を見出してこその腕時計。私はそう思っています(*´∀`*)

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