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東京で再評価される「ミドル・クラス」の時計たち

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東京という街をそれっぽく形容するならば、私は「根無し草のたちの街」ではないかと思っています。いやこれ、決して悪気があっての例えではないんですよ? 学生の頃の東京暮らしでも思っていましたが、日本全域の津々浦々から集まった人たちが、どったんばったんの生活ドラマを繰り広げる街…そんな感じがするのです。

所変われば何とやら…ごった煮状態の東京で触れる価値観の多様さは相当に複雑です。それなりの都会だと思っていた大阪ですら、その点では比較対象にもなりません。そういう意味でも東京は唯一無二、日本一の大都市なのです。

価値観の衝突は弊害も多いのですが、新しいものを生み出すエネルギーの発生源にはなります。エネルギー同士の衝突が脆弱な価値観を粉々に破壊することで、新しい芽を育むチャンスがババンと生まれるのです。

恐らく、ニューヨークやロンドン、パリといった世界的な都市も同様でしょう。カルチャーというものは人間の関わりの中からしか生まれないわけですから、可能性のブイヤベースの如き大都市は、格好の土壌というわけです。

それらカルチャーは「根無し草たちの悪戦苦闘の証」と言えるかもしれません。例えば、東京で学生生活を送り、10年ほど社会人生活を経験したあとに生まれ育った関西に戻った私は、どこか「故郷に抱かれる」安息を感じていました。誰でも同じかもしれませんが、故郷というのはそこで育った人間にとって「当たり前に居てもいい場所」なのです。

対して東京はといいますと、多くの人にとって本来の故郷…「ルーツのある場所」ではないのではないでしょうか?…以前、江戸っ子と呼べるのは3代遡っても東京人である場合だけ、と聞いたことがありますが、それに該当する人は、私の知り合いには2人だけしかいませんでした(お子さん世代を含めれば、ザラにいるとは思いますが)

関西に住む人、大阪に住む人を「関西人」「大阪人」と括ることは容易いことですが、東京に住む人を「東京人」と一括にするのは、少々無理があるような気がします。「東京に住む〇〇人」と表現するのが正しいような気も。私も「東京に住む大阪人」です(;´∀`)

出自はアイデンティティーの形成に強烈に影響する要素です。特に「土地」との結びつきは強く、それが世界各国で「民族」という括りに形を与えて、根深い紛争に発展してしまうこともあります。

そう考えると、東京のようなメトロポリスでは、色んな場所から集まった人たちが作り出す万華鏡のような価値観に対して、相当に寛容でないと暮らしていけないのかもしれません。ここでいう寛容とは「理解すること」とも言い換えられます。自分にとって都合の悪い意見や主張に対しても「一理あるかもしれない可能性」を残しておく。そういう「理解する努力」が寛容さに繋がって、個々人の視野を広げてくれるのです。

何となくですが、東京で暮らす人には、そういった「理解する努力」を惜しまない人が多いような気がしています。ダイバーシティーな大都会を生き抜くには、そういった不断の努力が必須なのかもしれません。いやはや…ハードル高いなぁ(;´Д`)

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※ここから唐突に腕時計の話になります。

 東京本社に異動になって最初に驚いたのは、仕事のことでも何でもなくて、あろうことか「腕時計に関すること」でした。

皆さん、おもしろい時計を着けていらっしゃるのです。大阪ではお目にかかれないタイプの…つまり、ある程度勉強が必要なブランドの時計を見かけることが多いのです。

以前にも書かせていただきましたが、私はこれを「東京の多様性が具現化した例のひとつ」だと考えています。

例えば電車に揺られてぼ~っとしている時でも、人様の意外な袖口にハッとさせられることがあります。先日もまだ若いビジネスマンの方が「ノモス グラスヒュッテのタンジェント」を身に着けているではありませんか。そんな粋な人、大阪では見たことありません(ー_ー;)

ご存知の通り、ノモスの時計は決して安くありません。時計としての実力を考えれば納得できるお値段なのですが、事情をよく知らない人が、あのシンプルな何の変哲もない時計にすんなり出せるお値段かと問われれば…完全に超えているかと(;´∀`)

ノモスのような時計をその価格も含めて正当に評価できる人は、モノの価値を見定める物差しを確立できている人だと思います。これは決して、容易に身につくセンスではありません。

実際、私自身はノモスのタンジェントやテトラに代表される、シンプルを極めたデザインに心惹かれつつも、身銭を切って購入するには至っていません。貧乏性なのでしょうか、これだけ出せばもっとこう…とか、元も子もないことを考えてしまうのです。

私は自分の腕時計趣味の方向性を聞かれたなら「微妙な腕時計が好き」と答えています。流行り廃りに対して少し斜に構える性格で観察を続けた結果、自然に集まってきたのが、王道から少し横道にそれた腕時計たちばかりだったからです。

そこにはノモスこそありませんが、ベルアンドロスやボール、グラハムといったミドル・クラスの腕時計たちが鎮座しています。っていうか、ほぼミドル・クラスしかありません(汗)

腕時計における「ミドル・クラス」という定義はかなり曖昧なものです。「ミドル・クラスのブランド」という括りでなら、最高級でも4、50万円で買えるブランドがそれに該当するでしょうか。

単体で「ミドル・クラスの腕時計」というときは、各ブランドの定価の中央値辺りに存在する時計…ということになります。

私がここでいうところのミドル・クラスとは、ブランドとして真ん中辺りの存在という意味の方です。

その辺の腕時計は、一般的な羨望とは無縁の存在です。実際、大阪で誉められた(見つけてもらえた?)ことは一度しかないのです。残念ながら、興味のある人にしか解ってもらえない可哀想な時計であるというのは、間違いないのないところです。

しかし、しかしですよ。それがよいのです。

他人の評価に一喜一憂しなくてすむ無垢な存在としての価値こそ、この辺りに位置する腕時計の醍醐味なのです。

それは「自分の中で価値を決められる」ということでもあります。

人気の高級ブランドのように、すでに出来上がった物差しがあるわけではありません。選択から購入へ至る道程には様々な分岐点が待ちかまえているのがこの辺のブランドです。怪しげな情報に惑わされがちなのも、ミドルクラス・ブランドにはよくあることです。

そこで「正しい選択」を行うには十分な下調べと、業界(マーケットを含む)に対する深い理解が欠かせません。前述のノモスを選んだ方の真意は計れませんが、多角度的に情報を集めない限り、あのようにシブいチョイスは生まれないと思うのです。

異動からこっちのわずかな期間の中で、うちの狭い会社内でも沢山のミドルクラス愛好者を発見しました。本当は「どうしてそれを選んだのか?」と質問をぶつけたいところですが、そこまでしなくとも、各個人を定義づける小道具的な役割を担っていることだけは、何となく伝わってきます。

大阪ではほとんど意識しなくて済んでいましたが、社会的なポジションに関するマナー(ヒエラルキー)は、東京の方がシビアで小煩いですよね?

大阪本社では、冬はセーターにジーンズ、スニーカーというジョブス的なスタイルで働いていた私でしたが、東京ではそこまでルーズにするわけにもいかず…ネクタイこそしていませんが、ビジカジ風のスタイルに変えました。

これは腕時計のチョイスにも少なからず影を落として、今の自分のポジションを過不足なく具現化した腕時計として、ミドル・クラスの出番が増えるに至りました。何といいますか…微妙に気を使うシチュエーションが多いのです(;´Д`)

恐らく、同じように感じている人が多いのでしょう。誰からも眉をひそめられることなく、尚且、ある種の拘りを感じさせるミドル・クラスの腕時計を身に着ける人が、大阪に比べて圧倒的に多いのです。

もちろんこれは、私の視界に入った情報だけを頼りにした話ですから、実際の事情は異なるかもしれません。

ただ、大阪では箸にも棒にもかからなかったミドル・クラスの時計に対して、反応してくれる人が少なからず存在するのは確かなのです。先日もユンハンスのマックス・ビルに対して「自分も使ってる!」とアピールしてくれた人がいました。「いい時計ですよね!」と短い時計談義を交わしましたが、それだけで疲労の蓄積が緩和される気がするのですから、腕時計馬鹿とは実にチョロい存在です(;´∀`)

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社会人としてビジネスマンとして、自分の足元の前後左右に注意することは当然ですが、ずっと東京で頑張っている人は、特にシビアで擦り切れるように神経を使っているのではないでしょうか。

そんな喧騒の日々でも、個性を磨く努力と関心を失わずに勉強を続けている「意識高い系」の人が、東京にはたくさんいらっしゃいます。そんな方々の多様なライフスタイルに、ミドル・クラスの腕時計たちがピタッと嵌っているのです。

優秀な「個性の受容体」として、ミドル・クラスの腕時計の汎用性の高さに対して、私自身も再び注目せねばなりません。

十分に理解して解った気になっていたミドル・クラス。いつの間にか「嘗めていた」フシもあります。東京異動は、そんな自分の中のミドル・クラスのあり方に、再度脚光を浴びせるきっかけになりそうです(*´ω`*)

これで本年最後の記事投稿が終わりました。

 私的にはやはり「転勤」が最大のトピックでした。ある程度の覚悟(悲壮レベルの)をしてから上京したものの、現実は想像のはるか斜め上にありました。

この年末の帰省を自粛する羽目になるとは思ってもいませんでした。例年なら常連客として通ういつものお店で「戎祭」の話題が盛り上がっているころです。

しかし、一向に収まる気配のない新型コロナの感染者数、さらに変異種の出現を考えれば、帰省のリスクはゼロとは言えません。このお正月は引きこもりを決め込むのが身のためだと思っています。ワクチンが出回るまで…ここは辛抱の一手です。

2020年の後半は全面的に千々に乱れた生活を送っていたのでブログの更新もほとんどできませんでした。東京での仕事に本格的に慣れて、人間関係もよくなれば、腕時計に向けられる関心も濃くなって、ブログのネタにも困らなくなるでしょう。

まずは「心のゆとりを持つ」ことを新年の目標にして、今年最後のご挨拶に変えさせていただきます。

2021年も、みなさまに素敵な腕時計との出会いがありますように(*´∀`*)

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