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腕時計が求める「装着者」でありたい

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 深刻なニュースが世界を席巻していますが…弊ブログを覗いちゃった時だけは、全てを忘れて「腕時計」に因む(しょーもない)ネタをお楽しみ下さい(*´∀`*)

 

 先刻、高らかに宣言した「禁煙生活」ですが、今のところ続いております。

 こうして「タバコ」と距離を置いたおかげで、これまで全く見えていなかった「タバコに支配され続けた自分」に気付かされました。特に仕事中に感じたことですが、あらゆる行動の節目節目が「タバコ」によって区切られていたのです。文章で言うところの「、」「。」の位置に必ず「タバコ」の存在が挟まっていて、一本吸ったら次の行動に移るといった「ルーティン」が出来上がっていたのです。

 

正直これには参っています(汗)

 

 何もかも「タバコ」を起点(転換点)にした生活を送っていたために、それが無くなると行動の「切り替え」がうまくできません。例えば仕事で行き詰まったイライラも、これまでなら「一本吸って」とりあえずは解消できていたわけです。しかし「タバコ」が無くなると「はい、この感情はここで終わり!」みたいに、割り切るためのブレーキが踏めないのです。

 

 いわば「感情の暴走機関車」状態です。何だかプロレスラーの異名みたいで、ちょっといい感じだったりしますが…(;´∀`)

 

 それでも例の「ニコチネル」の力を借りつつ、自分をあまり追い込まないようにしながら「禁煙生活」は続いています。

 

 

 「ニコチンガムなんて意味ねぇーよ!」と仰る方もいますが、私が使ってみて感じたのは、予想を大幅に超える「ニコチン摂取感」でしょうか。「タバコを吸う」というアクションの代替にはなりませんが、ニコチンは確実に取り込めます。「禁煙」からくる恐ろしいほどの睡魔と互角に対抗できているのは、間違いなく「ニコチネル」のおかげです。

 

 ただ…「タバコを吸う」という長年続けてきた「所作」とオサラバするのが大変です。食事の後などに、持ってもいない「タバコ」を必死で探す右手。本人は完全に無意識なのですが、人差し指と中指が「何かを挟みたくて」彷徨ってしまうのです。「ニコチン」よりむしろ、この「動作依存」との決別が「完全禁煙達成への道」に立ちふさがる最大の難関ではないかと考えています。

 

 今後も、時々はこうして報告させて下さい。失敗したら正直に申告しますから(;´∀`)

 

 

 

  話は大幅に変わりますが…最近、体重が元に戻り始めている気がします。明らかにベルトが苦しいのです(;´Д`)

 

 実は先日、私もチームとして参加していた企画が、とある財団様より「最高賞」をいただきました。多数の同業他社がしのぎを削る中で、弊社としては久々の受賞でした。財団で行われる恒例の授賞式が「新型コロナ」の影響で中止になったりしましたが…それも後々は印象的な出来事として、思い出せれば良いと思います(早くそういう安堵の日が来ますように…)

 

 そして昨日、弊社内の方でも慰労の授賞式がありました。初めて「代表」に呼ばれて「大応接室」なる場所に赴いたわけです。うちの会社に、こないなゴージャスな部屋があったんか!?

 この日は「まともな服装で来い!」と厳命されていましたので、私も自分のポスト並のゆるいジャケット姿で挑みました。いつも着ているジャケットですし、いつも履いてるボトムです。

 シャツだけは滅多に着ない「白シャツ」。そのシャツをきっちりボトムにINして、これまた滅多に使わないレザーのベルトを巻きました。一番奥の穴へバックルのピンを通すと…っていうか「通らねぇ!?」

 このベルト、確かダイエットに成功して一番痩せていた「64キロ」の時に買ったものだったと記憶しています。苦しくない位置で調整したジャストフィットだったはず。それが今やお腹の肉が上から乗ってきて、ベルト自体が見えなくなりそうな勢いです(汗)

 

 それに気付いても後の祭り。今さら数時間で痩せれるわけもありません。ちなみにシャツも何だかパツパツ気味で、他人の服を着せられた「罰ゲーム」の如き有り様です。

 自分自身から感じる「ダサさ」「体型のだらしなさ」がたまらなく嫌で、できれば誰にも会いたくないくらいでしたが、そういう気分の日に限って沢山の人と会わなければいけないという…

 

 会社では都合30人くらいから「どうしたん?」「何かやらかしたん?」「面接?」と、どちらかと言えば「負」の印象を与えた私の「ビジカジスタイル」。極めつけは「コピー機はあっちです」と言いやがったアイツ(笑)

 「XEROXじゃねぇよ!!」(ここは近藤春菜さんの「角野卓造じゃねぇよ!!」で再生して下さい)弊社はオールXEROXなのです。

 

モーリス・ラクロア アイコン39

  とにかく「スマート」とは程遠い「もっちゃり」した悪印象は間違いなく、左腕のモーリス・ラクロア「アイコン39」も心なしかしょぼくれて見えます。授賞式の際も自分のだらしない感じが気になって気になって…偉い人の前でもイマイチ集中できず、コメントもグダグダ…なおさらひどい印象を持たれてしまったかもしれません。

 

晴れ舞台なのに…オレ終わった

(´;ω;`)

 

 さらに「スチール撮影」だけだと思っていたのに「動画撮影あり」。全社で共有され、あちこちで晒し者になるのです。この「もっちゃり男」が。

 この瞬間、もう一度「ダイエット」を敢行することに決めました。余分な肉を落として「スマートな自分」を再び目指します。一度は本当にスッキリした輪郭になれたわけです。二度目だってやれるはず。やらいでか!!

 

 

 今日は自分で自分の左腕すら見るのが嫌でした。当然、その左腕に乗っかってる「アイコン39」も可愛げなく見えてしまう。時計には全く罪がないのに、キラキラの時計と「もっちゃり」な自分とのアンビバレンツな感情が、大切な時計の価値を下げているようにも感じました。これはいかん。これはいかんざき( ・`д・´)

 

 

 

 腕時計愛好家の肉体は、自慢の腕時計を映えさせるための「キャンバス」です。宝飾品も須らくそうなのでしょうが、腕時計は腕時計を装着する人とのコラボレーションによって新たな価値を生み出す、一種の「総合芸術」だと言えます。その証拠に、テーブルに置いた時計を撮った写真と、腕に巻いた時の写真を見比べて下さい。明らかに腕に巻いた状態の時計のほうに、より瑞々しい「生命感」を感じるはずです。

 

 言うなれば、腕時計好きの私の肉体は、美しい腕時計を「より美しく」見せるための「アンプリファイア」でなければならないのだと思います。

 

 イケメンが身に着ける「ROLEX」と、しょぼくれた私が身に着ける「ROLEX」は別物です。可憐な美少女が身に着ける真珠と、自分磨きを怠ったおばちゃんが身に着けるそれについても同様でしょう。研ぎ澄まされた芸術である「装身具」は、そのパートナーとして研ぎ澄まされた「装着者」を厳しく求めるのです。「太りたくな~い」とか女子大生みたいなセリフを吐きながら、2日連続で「カップ焼きそば(大盛り)」を食べてしまった私みたいなアホアホマンには、格好いい腕時計を身に着ける資格が欠けています。

 

ペヤング 超大盛やきそば 237g×12個

 

 確実にウエイトを増やしてくれる魔法の食い物ですよ…

 

  2日に一度は食べていたコンビニスイーツも、「これは野菜!」とか言いながら食べていた高カロリーのナッツ類も、「やよい軒」でのごはんおかわりも…もう止めます。とりあえず痩せていた時のベルトがスルリと着けれるようになるまでは、一日のカロリーを大幅に抑えたいと思います。

 

 日々の「約束事」を守る積み重ねは、人間の成長に欠かせないものだそうです。「朝は5分早く起きる」ですとか、そういう小さな「勝利」を大切にすることで自己の啓発が進むと聞いたことがあります。私にとって「禁煙」「再ダイエット」は難攻不落の砦に挑むようなものですが、それすら「些事(ささいなこと)」と思えるようになれば…きっと、身も心も「スマート」な自分が完成して、どんな時計でも格好良く着けこなせるようになるはずです(*´∀`*)

 

 その時には少なくとも、

「コピー機はあっちです」なんて言わせませんから。

 

 

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