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高級腕時計は「無駄な出費のシンボル」なのか?

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すでにYahooのトップからは流れていってしまったので、元ネタがどんな趣旨で書かれたのかを読み返す手段が見つからないのですが、「お金持ちになれない人の特徴」みたいな考察を連ねたレポートを読みました。あまりの暴論に個人的には納得いかなかったので、ちょこっと反論させて下さい( ゚д゚)

 

え~っと、要点だけをザクッとまとめますと…

 

1)「持ち家に住んでいる」

2)「高級車を所持している」

3)「高級腕時計が好き」

 

以上に該当する人は、お金持ちになれないそうです。

 おいっ!「腕時計好き」入っとるがな!!(;´∀`)

 

まぁ、真剣に取り合う価値のない煽り記事でしたので、時計を愛する皆さまが眉をひそめる必要もないのですが、未だに上記の3つの要素を、安っぽい「ステータスシンボル」として短絡的に取り上げる物書きがいることにビックリしました。バブルの頃の三流雑誌なんかではよく見られた手法ですが(私も書いてましたけど)…今、令和ですよね?

要するに「無駄な出費の三冠」としてシンボリックに取り上げられちゃってるワケなんですが、そもそも出費を抑えるだけで豊かになるなんて…絶対に不可能ですよね?そんな逃げ切り思考で先導するから勝てないんですよ。中国さんに。

 

https://www.instagram.com/p/BwRR1vlnjJD/

(無駄とか無駄じゃないとか、そういうことじゃないんですけど…)

 

 そんなことを考えるよりも、どうにかして収入を増やす、増やしてそれを安定持続させる…と、そっちの努力をしたほうがずっとマシだと思うのです。無論それは結果としてであって、まずは自分自身の価値を高めて、例えば地球の裏側でも通用するスキルを獲得するなど、収入を生み出す装置としての自分の完成度を高めることが先決です。そしてそれは、人によってそれぞれ異なる道、至る手法があるでしょう。

 

ぶっちゃけ「持ち家」だろうが「レクサスに乗って」いようが、当然「ロレックスを買って」いようが、そんなことは「豊かさ」とはなんの関係もないのです。そういうものを獲得するために頑張って働くことに最大の価値があるのです。それらは確かにただの「モノ」ではありますが、懸命に生きる目標にはなり得るのですから。

腕時計はあくまで個人の贅沢品なので、他者の幸せとは無関係かもしれませんが、例えば家族のために懸命に働いて一軒家を建てたとします…その時に見られる家族の満ち足りた笑顔は、倹約して貯めた通帳の残高を見てほくそ笑む笑顔と、果たして同じでしょうか?

 

伝聞で恐縮ですが、知り合いの会社の同僚に遺産相続で大金を手にした人がいたそうです。お金の怖いところ…特に自分の努力とは無関係のお金の怖さですが、その人もご多分に漏れず「守りに入ってしまった」そうです。とにかく、お金を使わないように使わないように…そういう生活スタイルに変化したのです。

 

そこまでならただの「過剰な倹約家」ですむ話なのですが、やはりというかなんというか…一生懸命仕事をするという姿勢がなくなってしまったらしいのです。働かなくても困らないお金を持ってしまったことで、労働意欲が消え失せ、更には責任感も失せてしまったと。

確かにそんな状況に自分が置かれたなら、労働の目的意識なんて知ったことか!と嘯いているかもしれません。最低の評価だろうが毎月決まったお給料がもらえて、さらに会社の福利厚生をアテにできるワケですから。

 

私は自分が古いタイプの人間であることを自覚しています。自分が働いて得たものの価値こそが一番デカいと信じているからです。これは今となっては古臭い考え方なのでしょうが、私が投機的なお金儲けに一切手を出さない所以でもあります。先のレポートで無駄の御三家のように断じられた「腕時計」だって、自分で目標を立てて、努力の先に手に入れるから尊いのです。

 

「将来のために節約しましょう!」「定年後は〇千万円の貯蓄が必要!」といった見出しの記事がアチコチのメディアを賑わしています。しかし基本的にはどれもこれも「守り」の生き方を薦めるものばかり。「贅沢は敵!」の考え方はある意味正しいと私も考えます。しかし一方で、「守りの生き方」がこの国の経済の停滞を生んでいるのは間違いありません。

すでに現時点で、60歳でリタイヤできる人は多くありません。私たちはその後も働き続けなければならない。ならば、自分自身を高めるために「攻めの姿勢」でお金を使って世の中を活性化させたほうが、よほど豊かになれます。

 

10年前にリタイヤされた先達よりも、私たちは10年長く現役を続けなければなりません。ようやくゴールが見えた!と思ったら、ゴールテープの端を持った係員がダッシュで遠くに逃げていった…そう感じている人も多いと思います。

ゴール直前に合わせて落としたペースをもう一度見直して、ピッチを上げなければならない。人生の放物線の最終部を、山なりに書き直す必要があるわけです。

 

それは、「節約して逃げ切りを狙う」ことなのでしょうか?

 

これはメディアの責任ですが、最近は運転免許すら取らない若い人が増えていると聞きます。私の周りでも「新車を買いました!」なんていう自慢話は、終ぞ聞いたことがありません。それもそのはずで、そもそも免許を持っていなかったりするのです。私は最近思います。これもメディアがあまりに閉塞的な暗黒の未来図を示しすぎた結果の一つではないかと…隣人にも社会にも、そして自分自身にも期待できない未来をイメージさせすぎたんじゃないかと(;´∀`)

 

守りに入るのは、本当に歳をとってからでいいのです。若いうちは自分の才能と可能性に投資して、どんどん自分を磨いたほうがいいのです。

貯蓄が悪だとは思いません。ある程度はないといざという時に身動きが取れなくなります。自分のことだけでなく、とっさの時に他人を助ける力を持つためにも、蓄財は必要です。

 

しかし、しかしです。

例えばこのままいけば、いずれ車は売れなくなるでしょう。私もかつてはライダーの端くれでしたが、二輪なんてすでに瀕死の状態です。それほど売れていないのです。住宅だってそう。「今から家を買うやつは馬鹿」みたいな記事も散見されますが、それを真に受ける層は少なくないのです。ただでさえ家を買うという人生の一大イベントには様々な憂慮と逡巡がつきまといます。そこに先のような意見を(それなりの専門家に)突きつけられて、敢然と無視できる強い人ばかりではないのです。その結果、マーケットは力を失い、富の流動性は落ち込みます。つまり、若い人たちにお金が回るチャンスがより一層失われてしまうということです。

 

高級腕時計の場合、マーケットは表面的には活況に見えます。私も羨ましさに指を咥えながら「お金持ちっているんだなぁ~」とため息交じりに感じることもあります。

しかし、そのお金持ちの中に「日本人の若い人」がいるかどうかが問題なのです。私には、腕時計専門店やブティックをパトロールする趣味(使命?)がありますが、ここ数年、お大尽のような豪快な買い物をしてるのは「中国人のお客さん」だけです。

先日、Rolexの「デイトジャスト」をショーケースの中のあるだけ全部買っていった中国人のオヤジさんを見ました(といっても7本くらいしかなかったのですが)バイヤーかもしれませんが、お土産だとすればなんて豪勢な買い物でしょうか。

現在の中国人の凄さは、こうやって個人がそれなりの規模の経済を世界中で揺さぶっているという事実です。経済状況で一番問題なのは「停滞」なのですから、善悪は別にして、豪勢にお金を使う行為で経済を「活性化」させることは素晴らしいのです。

 

 

 Yahooなどの有名なポータルに寄稿できる物書きさんなら、きっとそれなりのレベルの人なんだろうと思います。影響力も小さくはないでしょう。なればこそ、日本人の…特に若い人に不安だけを与えるような原稿を書かないでほしいと切に願います。書くなら閉塞した状況を打開するための「何か」を示して欲しい。或いは「エール」でもいいのです。

 

「家」だって「車」だって、もちろん「高級腕時計」だって、安心して目標にできる日本であってほしいと思います。メディアも政府も、もっと若い人を大事にしなくちゃ。どうせ先導するなら、彼らがどんどんお金を使って「夢を買える」前のめりな未来へ導いてほしいと思います。

 

だって若い人こそが、あらゆるマーケットで数年先を担う主体「Economic Substanceなのですからm(_ _)m

 

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