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君は「長沢節」を知っているか

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長く社会と係わっていれば、自然と同志は現れる。最初から解り合える人もいれば、はじめは敵対していたのにいつの間にか同じ方向を向いていた…なんて人も。

[ ゆうパケット可 ] 新装版・わたしの水彩 美術出版社 長沢節 B5判 【 書籍 本 】

しかし、「師匠」と呼べる人は少ないのではないか。

同じ目的の遥か先に立っている目標と言える人物の存在は、とにかく貴重で代え難いものだ。私の場合は比較的若い頃から、有り難いことに高らかに誇れる「師匠」が居てくれた。

念願の美術大学に合格して建築デザインを学んでいた頃、私の頭の中には別の…イラストレーターになりたいと言う原初に強烈な目標が、半端に消された焚き火のように燻っていた。

建築を専攻したのは親父への恩返しという気持ちが強かった。同時期に関西の実家から二人の息子を東京の大学に行かせるのは、かなりの負担だったはずだし、長年の恩を返すべしと考えてのことだ。

建築関連事業の会社の…その頃はまだ専務取締役だったか(忘れた)もしかしたら喜んでもらえるかもなんて、子供ながらに気を遣っていたのだ。

しかし、「イラストで食いたい」という思いは根深すぎた。まるでスティグマータだ。

結局、大学と並行してイラストレーター養成なら国内最高峰の学校、セツ・モードセミナーへ通うことになった。それは私にとっては最初にして最大の転機だった。

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閉校直後の校舎の様子。すぐ横の階段も生徒の溜まり場だった。

「セツ」のトップクラスは「ゲリラ」と呼ばれる異能集団で、すでに業界の寵児と呼ばれる人材も多数在籍していたし、同期の連中もすでにプロとして食っていたやつ、どこかの組織に属しながら力試しにセツを選んだやつ等々…明らかに私よりも才能のある若者が集っていた。

これまでのヌルい創作活動を恥じるには十分な経験だったが、何よりセミナー創設者が凄すぎた。

「長沢 節」

日本よりむしろヨーロッパで高い評価を受けるイラストレータ、画家。文筆家でもある。知らない人にとっては、エキセントリックなピンク色が好きな爺さんとしか見えないだろうが、その正体はアートに敏感な若者にとってのアイドル。または神さまなのだった。

まさに雲上の存在を間近に見られる幸せ。そして、身の程知らずな嫉妬。

10分のタブローを描けば、天を呪いたくなるほどの才能差に打ちのめされる。

それでも私はセツ先生の後ろにポジションを取り、クロッキーやタブローをしつこくやり続けた。

「お前、気味が悪いよ」

ある日、セツ先生が私に呟いた。

いつも真後ろで先生の筆運びを盗もうと虎視眈々だった下手くそな生徒の存在を覚えていてくれたのだ。

結局、私も在学中からプロの端くれとなり、卒業まで先生の背中を見続けた。

そう言えば、品評会で一度だけ絶賛されたことがあって忘れられない。

「下手くそだけどこの絵、僕は好きだよ~」

基本、全員貶されるのが当たり前だったので、その時は意外すぎてキョトンとした感じだったが、後々ジワジワ嬉しくなったのを思い出す。

セツ先生がお亡くなりになっても、暫くの間セツ・モードセミナーは存続していたらしい(2017年春に閉校)それはすでに時代を先駆していた「セツ」とは別のモノだったらしい。

アート界の松下政経塾とどこぞで言われたこともあるセツ・モードセミナーは結局のところ、長澤節先生お一人の個性が生み出した特別な場所だった。それは意志ではなく熱。意志は継承できても熱は伝わらない。実際、亡くなられた時点で終わっていたように感じる。少なくとも新宿の曙町に南フランス・プロヴァンスの風が吹くことは無くなっていただろう。

「師匠」という存在は大きく高く、手の届かない存在でなければならない。偉大な先達のイメージは近づけば近づくほど、大きく膨張するものだ。限定的ではあるが、「あぁ、アレを描いてた人ですか」と言われるレベルになった今日でも、セツ先生との距離は微塵も詰まったように感じない。

「セツ先生」。あなたに下手くそと言われた生徒は、今もこの世界で手探り手探り、頑張ってますよ(;´Д`)

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